2015年12月27日 (日)

正教会の祭と、聖職者(教職者)の、日本語と外国語(希・露・英)の対照表

正教会の祭:日本語と外国語の対照(一例)

正教会の祭の、日本語、ギリシャ語、ロシア語、英語での表記の、対照の一例を紹介します。様々な表記の仕方(「我等の主の」「尊貴なる」「至聖なる」といった修飾の有無などによる違い)があり、ここで挙げていますのはあくまで一例で、単語ごとに一対一対応しているとは限りません。

Feastorthodox_2 Feastorthodox2_2

 

代表的な正教会の聖堂名表記例:日本語・ロシア語・英語の対照表

Feastorthodox3 ※1 日本正教会における祈祷書に「救世主」「救主(きゅうしゅ)」の二通りの訳語があるが、特に使い分けの規則は見出せない。
※2 Рождественский собор「ロジェストヴェンスキイ・サボール」は、主の降誕を記憶する大聖堂も、生神女の誕生を記憶する大聖堂も、両方に使われる。個別の事例ごとに、正式名称・記憶内容を確認する必要がある。
※3「生神女就寝主教座聖堂」とも訳し得るУспенский кафедральный храм という呼称を持つ聖堂もある。この場合храмであっても「大聖堂」と訳されることがある。
※4 聖堂(храм)は教会建築のみを指し(なおхрамは非キリスト教の神殿・寺社にも使われる単語)、教会(церковь)は組織と教会建築の両方を指す。ギリシャ語(ναός, εκκλησία なおναόςは非キリスト教の神殿・神社にも使われる単語)にも日本語(聖堂、教会)にも使い分けられる単語があるが、英語には一単語で使い分けられる単語が存在しない。以下、собор, храм, церковьごとの変化は割愛する。
※5 他の聖堂名でも(ロシア語・英語を問わず)同様に、様々な表記がある。生神女庇護大聖堂と訳し得る名称・表記としては、ほかにСобор Покрова Пресвятой Богородицы などがある。

正教会の教衆(きょうしゅう・教役者)の各言語対照表

Clergyorthodox_2 Clergyorthodox2_2

※1…「エクザルフ」‐総主教の使節としての役割を果たす主教、ないし広い範囲の教区を包括的に指導する主教。府主教・大主教がこの称号を保持していることが多いです。

※2…スラヴ系正教会では府主教が大主教より上位。ギリシャ系正教会では大主教が府主教より上位となり、この表と順序が入れ替わります。

【狭義の教衆】現在の日本正教会では、「教衆」は堂務者のみを指す場合があります。

【叙聖(じょせい)と昇叙(しょうじょ)、着座(ちゃくざ)】輔祭・司祭・主教には聖体礼儀において「叙聖」されること(これを神品機密(しんぴんきみつ)と言います)でその職に就きます。「昇叙(しょうじょ)」とは、輔祭・司祭・主教の枠内で、称号が与えられることです。「着座(ちゃくざ)」とは主教が自分の教区の牧者としての職に就くことです。例:「副輔祭某兄が輔祭に叙聖されました。」「司祭某神父が長司祭に昇叙されました。」「主教某座下が大主教に昇叙されました。」「府主教某座下が○○教区府主教として着座されました。」

【叙聖順】必ず[副輔祭→輔祭、輔祭→司祭、司祭→主教]の順に叙聖されます。

【妻帯有無】教衆は、輔祭に叙聖される前に、妻帯するかしないかを決断しなければなりません。輔祭・司祭までは妻帯可。主教は修道士から選ばれますので必然的に独身です。なお、白教衆が妻と死別してから修道士となり、修道教衆になる(場合によっては主教に選ばれる)事は稀ではありません。

【修道教衆と白教衆】上の表で、総主教から修道司祭までは「修道教衆」、首司祭から輔祭までは「白教衆」と分類されます。教会外の媒体では前者を「黒僧」、後者を「白僧」と呼ぶ事もありますが、これは正確な訳語・用語とは言えません。なぜなら叙聖されていない修道士・修道女も、字面から「僧」「黒僧」の語義に入りそうなものですが、彼らは修道教衆には数えられないからです。

【席順】上の表では便宜上、修道教衆の下に白教衆を置いていますが、「首司祭が修道司祭の下座に位置する」ことはありません。地域によって幾らか相違がありますが、首司祭およびミトラ(宝冠)付の長司祭は掌院と同格とされます。同じもしくは同格の称号を持つ人は、年功順に、奉神礼において立つ位置が決められます。

【謝辞】上記神品・教職者の対照表におけるギリシャ語表記につきましては、数年前に小田原ハリストス正教会のディミトリイ田中神父様に御教示を頂きました。ありがとうございました。

2015年3月18日 (水)

崇拝と崇敬を巡る書き込みについてお詫びと訂正

以下、2015年3月17日にトゥギャッターにて私が作成しましたまとめ

「宗教学たん」のデタラメと、盗用(@東洋経済←プレタポルテ・夜間飛行)

に対し、

(1)(2)(3)(4)(5)

ツイッターで飛鳥井さん(@S_Asky)から以上のような御指摘がありました。

ツイッターで御返信しますのは大量のツイートになると思われましたことと、図を入れたかったため、本ブログにて御返信申し上げます。

目次
第三者向け前提1「中立性」
第三者向け前提2「崇拝と崇敬」
私の発言の問題点三つにつきお詫びと訂正
釈明

第三者向け前提1「中立性」

第三者向けに前提をここで申し上げます。

「聖人崇拝」という用語を無頓着に「宗教学たん」が使っていることに私は突っ込みました。

ツイッターでは文字数が限られているので詳しく申し上げられなかったのですが、実はある文脈においては「聖人崇拝」という用語が使われ得ます。

◆ 正教、非カルケドン派、ローマカトリックにおいて、「聖人崇拝」が肯定された事は無い。
◆正教、非カルケドン派、ローマカトリックでは、神に対する崇拝(λατρεία)と、聖像に対して行われる敬拝(τιμητική προσκύνησις)といった相対的な崇敬(προσκύνησις σχετική)を区別してきた。
◆ プロテスタントであるカルヴァンとその同調者はローマカトリックに対し、「ローマカトリックでは聖人崇拝が行われている」と非難した。言いかえれば「崇拝と崇敬の区別を認めなかった」。
◆ 今でも「ローマカトリックでは聖人崇拝が行われている」と批判するプロテスタント教会・信者は少なからず存在する(一方で、そのような批判を今ではしない教会・信者も存在する)。

つまり「この問題において、カルヴァン、もしくはその一派と同様の視点に立つ」とした上であれば、「『聖人崇拝』と述べる事は可能」です。

ただ「宗教学たん」は、カルヴァン主義者なのでしょうか?
仮にそうなのだとしたら自らの立場を明らかにするべきです(巫女という設定でいらっしゃいましたから、どうもそうではないと思われます)。
カルヴァン主義者ではないのだとしたら、立場による見解の差に無頓着なことは、「宗教学」をやる者として如何なものなのでしょうか。

第三者向け前提2「崇拝と崇敬」

「崇拝」と「崇敬」を区別する教会(正教会、ローマカトリック教会等)では、
◆ 崇拝 → 神にのみ向けるもの
◆ 崇敬 → 十字架、聖像、聖人、人などに向けるもの
と区別しています。

正教会での術語については、より細かい図を以下に作成しました。

Photo_2

図の通り、伏拝(ふくはい、προσκύνησις、現希:プロスキニシス、古希:プロスキュネーシス、敬拝とも)は神にも、聖なる物にも、人にも向けられます。

箇条書きにすると以下のようになります。
◆ 奉事(礼拝、λατρεία、現希:ラトリア、古希:ラトレイア)は神にのみ向けられます。
◆ 伏拝(ふくはい、叩拝:こうはい、προσκύνησις、現希:プロスキニシス、古希:プロスキュネーシス)は神、十字架、イコン、聖人の不朽体等の聖なるもの、人とに行われますが、イコンへの伏拝(敬拝)は画かれた方に帰すものです。
◆ 奉事的な伏拝は、ただ至聖三者(三位一体の神)にのみ向けられなければなりません。また伏拝を異教の神・偶像等に向けることは禁じられています。

地に文字通り伏して拝む伏拝という形式をとるかどうかは東西教会で違いますが(正教会では伏拝が現代でも頻繁に行われるのに対し、西方教会では殆ど行われなくなりました)、いずれにせよ、「礼をする」という外形的形式においては、「神に対する崇拝」と「その他のものに対する崇敬」との間に共通するものがあります。

こうした事情も、
「正教会、ないしローマカトリック教会は、やはり聖人や聖像を崇拝している。神にだけ向けるべき行為をそれらに向けているではないか。」
「教会上層部はそのように指導しているとしても、混同している信者が居る。」
といった批判を、カルヴァンおよびその同調者・後継者がする背景の一つとなっています。

ただ、正教会としては、旧約聖書においてもπροσκύνησις(伏拝・敬拝)が人に対して行われている場面が複数あること(例:創世記 / 23章 7節、創世記 / 33章 3節、ルツ記 / 2章 10節、サムエル記上 / 24章 8節、列王紀上 / 1章 23節、歴代志上 / 29章 20節)等をもって、こうした「崇拝も崇敬も一緒であり、神以外のものに対する伏拝・敬拝は禁じられている」に反論しています。

その議論の詳細は、ここではこれ以上立ち入りません。

重要なのは、
「崇拝と崇敬は違う」(正教会・ローマカトリック等)
「崇拝と崇敬は一緒だ」(カルヴァン主義者および同様の見解をとる者)
とする両見解があるのであり、後者が「客観的」で「中立的」とする根拠は無い、ということです。

「違いに拘るのは信者だけだろう(笑)」と思われる方は、結果的に、カルヴァン主義者と同様の見解をとっているわけです。繰り返しますがそれは決して「中立的」な見解では有り得ません。

私の発言の問題点三つにつきお詫びと訂正

「宗教学たん」が無意識に「少なくないプロテスタント、特にカルヴァンと同様の見解をとっている」事は、以上指摘の通りです。

ただ、私は
https://twitter.com/suzutuki1980/status/476414743184293888
にて、

>「崇拝と崇敬は同じ」と言うのはプロテスタント由来の偏向でもあり、到底「中立」などとは申せません。

と2014年6月11日に述べました。

この「プロテスタント由来の偏向」について撤回し、訂正、お詫び申し上げます。

自分で色々考えました結果、私の発言における問題は三点あります。

第一点目の問題は、「プロテスタント」を十把一絡げにしたことです。

プロテスタントにも色々あり、例えば「聖像はもちろん、宗教画のようなものも一切使うことを禁じる」とする人から、「マリア像を家に置いてあります。崇拝とか崇敬とかしませんが、ぞんざいには扱いません。」と言うような人まで、様々な人が居ます。

実際、プロテスタントであった私の生まれ育った家には、幾つか宗教画がありました。残念ながらうろ覚えなのですが、聖母子の絵もあったように記憶しています。自分の家もそうだったのに、十把一絡げにするとは全く迂闊でした。

現代のプロテスタントには、カルヴァンと同様に「聖人崇敬と言われているものは、神にのみ向けるべき崇拝を聖人に向けている、間違った『聖人崇拝』だ」と言う人も居れば、「崇拝と崇敬を区別する見解について、ある程度尊重する」と言う人まで様々に居ます。

プロテスタント全体が「崇拝も崇敬も同じだろう(笑)」と「杜撰に主張」しているかのように印象付けかねない私の言葉は、正当なものではありませんでした。

第二点目の問題は、「崇拝も崇敬もどうせ同じなんだろう(笑)」といった「雑な物言い」と、カルヴァンの主張を一緒くたにしたことです。

もちろん、正教会は、カルヴァンのような見解を否定し批判します。

しかしながら、「どうせ同じなんだろう」と雑な扱いと、「そもそも聖人という概念の捉え方が根本的に異なるので、聖人崇敬は『崇拝』で無いにしても認められるものではない」といった考察が組み上げられた結果を、同列に扱うのは、「舐めている」と思われても仕方のないところでした。

第三点目の問題は、「由来」という因果関係を示す言葉を簡単に使ったことです。

「カルヴァンと同様の結論となっている」からといって、「プロテスタント由来」と断定するべきではありませんでした。「プロテスタントの主張が、『崇拝も崇敬も一緒だろう(笑)』という雑な言い分の源泉になった」経緯を立証せずに、このような発言をするべきではありませんでした。

以上三点、発言の問題点を挙げ、以下のように発言を訂正します。

【訂正前】「崇拝と崇敬は同じ」と言うのはプロテスタント由来の偏向でもあり、到底「中立」などとは申せません。

【訂正後】「崇拝と崇敬は同じ」と言うのはカルヴァンらと同様の見解であり、到底「中立」などとは申せません。

不正確かつ偏見を煽る書き込みにつき、お詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

釈明

普段から私は「プロテスタントを舐めてかかる」事は全くしておりません。

プロテスタントを教えの面から正教との違いについて批判的に述べる、あるいは批判する事があっても、それは「舐めてかかっている」からではなく、「批判するに足る相手」であると考えての事です。

また、伝道会等でも、「プロテスタントとの違い」について言う時には、必ず「プロテスタントは様々なものの総称です。ですからここで申しますあくまで『概要』からは外れる、少なく無い例外が沢山あるということは大前提にしておいてください」と念を押すようにしております。

それだけに、今回は一緒くたに雑に述べてしまいました事は痛恨の極みでして、恥じ入るばかりです。改めて飛鳥井さんおよび読者で不快に思われましたプロテスタントの方にお詫び申し上げます。

以上、お詫びと釈明とさせて頂きます。

■ 「第三者向け前提」で使いました参考文献 ■
長司祭イオアン長屋房夫神父訳「正教徒と福音派の対話」
ジョン・メイエンドルフ著、小高毅訳「東方キリスト教思想におけるキリスト」教文館

2014年12月 1日 (月)

メディア関係者さんへお願い:コンスタンティノープル総主教聖下の名前表記(現代ギリシャ語で)

現在の全地総主教(コンスタンティノープル総主教)聖下のお名前、いつもマスメディアでの表記が気になって居ます…。バチカン支局経由での記事が多いからか、なぜかイタリア語表記な記事を最近多く見かけますが…。

たとえば英国人のジェームズをイタリア語風に「ジャコモ」とは、イタリア支局発の記事でも書かないハズです。

ちょっと知っている人だったら、半端なものではない違和感・可笑しさがあります。マスメディアさん・記者さんがたには、どうか今後、御修正を宜しくお願いします。現代ギリシャ人・ギリシャ系の人物名と役職名には、現代ギリシャ語表記を使って頂きたいと思います。

追記:在エストニア日本国大使館ウェブサイトで「ヴァルソロメオス」「コンスタンディヌーポリ」の使用例を確認

―――
お名前
【許容範囲と私が感じる表記】

ヴァルソロメオス1世 - 現代ギリシア語からの転写。
バルソロメオス1世 - 現代ギリシア語からの転写「ヴァルソロメオス」の「ヴァ」を、「バ」に置き換えた表記(マスメディアからの質問に対し、「ヴァ」が難しければ「バ」にして下さいと申し上げて、これを勧めたことがあります)。
◎ ワルフォロメイ1世 - 日本正教会訳聖書や奉神礼で使われる表記。中世ギリシャ語から教会スラヴ語に転写されたものをロシア経由で日本語に転写したもの。

―――
役職【許容範囲と私が感じる表記】

○ コンスタンディヌーポリ総主教 - 現代ギリシア語に由来する転写。
コンスタンティノポリ総主教 - 日本正教会の奉神礼で使われる転写。中世ギリシャ語から教会スラヴ語に転写されたものをロシア経由で日本語に転写したもの。

―――
お名前【許容範囲と私が感じる表記】

× バルトロマイオス1世 - 古典ギリシア語再建音…なんで現代人に古典の再建音を?古典再建音と現代の言語の読みが全然違うというのはギリシア語に限らず日本語もそうです。上代日本語の発音で今の日本人の名前を読むようなものです。参考→ 上代日本語の発音で百人一首ランダム読み上げ Random reading of Ogura Hyakunin Isshu (in Old Japanese, 8c)
× バルトロメオ1世 - イタリア語…なぜイタリア語(?_?;)イタリア駐在の記者さんなんかがよく書いているんですが、他地域にもイタリア語読みを適用するんでしょうかね?
× バーソロミュー1世 - 英語…なぜ英語(?_?;)
× バルトロマイ1世 - 日本聖書協会による、聖書中に登場する同名の使徒の転写…こう書く方は、たとえばジョンさんを「ヨハネさん」って書いたりするんでしょうかね?

―――
役職【許容範囲と私が感じる表記】

△ コンスタンティノープル総主教 - 英語…なぜ英語?という疑問が拭えません。しかしあまりに定着してしまいましたから「×」ではなく「△」で…。許容範囲なのに記事タイトルをこれにしたのは、検索に引っ掛かり易くするためです。
× コンスタンティノポリス総主教 - ラテン語…なぜラテン語?

―――
「◎」で表した日本正教会での表記が使われるともちろん嬉しいのですが、「中世ギリシャ語から教会スラヴ語に転写されたものをロシア経由で日本語に転写したもの」を一般のマスメディアで使うことを要請するのは無理があるかとも思います。ですので現代ギリシャ語からの転写を色つきで強調しておきました。

【2014.12.02, 19:55追記】先程、ここ最近で「バルトロメオ1世」の使用例がある共同通信、時事通信、毎日新聞、日経新聞、バチカン放送局さんに、「ヴァルソロメオス1世、せめてバルソロメオス1世の表記を何卒お願いしたい」要請メールを出しました。

【2014.12.05, 22:06追記】昨日、共同通信さんと時事通信さんから、本日、毎日新聞さんからお返事を頂きました。詳細は後日書くかもしれません。まずは共同通信さん、時事通信さん、毎日新聞さんに感謝申し上げます。御返信ありがとうございました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

2014年6月16日 (月)

正教会についての参考書案内(一般入手可能なもの)

それほど読書量が多いわけではありませんが、私が読んで来た範囲の中で、一般で入手可能な、お勧めできる正教会に関する参考書を挙げて参ります。今後、少しずつ更新していきます。

拙著(入門の入門)

クリメント北原史門「正教会の祭と暦」ユーラシア文庫、群像社 … ブログ主による著作です。正教会では100冊の神学書を読むよりも、100回祭に参祷する事が、正教会の信仰生活理解には近道。コンパクトにまとめた内容になっています。

絶版になっていない総合入門書(中級のはじめ)

正教会の手引き(ウェブ上PDF) … 日本正教会による、豊富な内容の総合入門書です。各地の正教会でお求め頂けるほか、リンク先、PDFで無料でも読めます。
高橋保行「ギリシャ正教」講談社学術文庫 … 幾らかデータが古くなっている所もありますが、お勧めできる一冊です。
オリヴィエ・クレマン「東方正教会」白水社文庫クセジュ … 一定程度の前提知識が要求されますが、神学の入門としてお勧めできます。

絶版になってしまっている総合入門書

○ 川又一英「イコンの道」山川出版社 … 残念ながら絶版になってしまっていますが、カラー写真が綺麗な読み易い本です。

紀行文
村上春樹「雨天炎天」新潮文庫
… なぜ非正教徒の作家の本を神父が勧めるのか?と驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、「非信者ではあるが、正教をけなさず、不自然に賞賛もせず、知ったかぶりもせず、淡々とアトス山の修道院の姿と、そこでの自分の体験を書いている」この本は、「正教は理屈ではなく生活である」ことを示すものとして、かなりお勧めできるものです。
唯一差し引くところとしては、(当たり前ではありますが)正教の信者は皆、ここに書かれた修道士と全く同じように生活しているわけではない、という所でしょうか。途中で修道院の補修工事に来ている大工の若者達の姿が描かれていますが、彼らも正教信者です(明言はされていませんがアトス山で作業するギリシャ人であり、おそらくそうでしょう)。
この本がすごいのは、普段点の辛い私から見ても「誤りらしい誤り」が全く無いという事ですね。村上氏は非常に慎重に、「知らない事をテキトーに書かない」ように徹していらっしゃるようです。

文学
○ ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」 … もちろん文学作品ですから、100%正教会の教えそのもの、とは言えません。しかし巷間に言われるよりは、正教の生活が色濃く反映されています。「ドストエフスキーのキリスト教理解は独特のものである」と言われる要素(たとえば「神の像と肖」など)の多くは、正教においてはむしろ標準的なものです。

2014年3月 8日 (土)

「キリスト教を理解して欧米を理解しよう」?

「ふしぎなキリスト教」を持ち上げた人達と、批判した私の間で、何が違うのかを色々考えて居ました。ツイッターでは「重く扱われたくない(軽く扱われたい)」願望の有無という要素を既に提示しましたが()、今回は別の要素を挙げたいと思います。

「ふしぎなキリスト教」を持ち上げている人達は、「欧米をよりよく理解するためには、キリスト教理解が必要だ」と考えて居るようです(「ふしぎなキリスト教」のメッセージでもありました)。

今回のテーマは二点です。

■ 本当に『欧米理解』に『キリスト教の理解』が必要なのか」

■ 「『理解』のためではない教会」


● 本当に「キリスト教を理解する」のが「欧米理解」に「必要」なのかどうかを点検すべきです

私は一応プロテスタントの牧師の息子として生まれました。聖書や神学の理解と言える程のものは残念ながら殆ど持ち合わせませんでしたが、祭壇傍の奉仕者までさせて頂き、中学時代には「司式」までしていましたから、非キリスト教徒の日本人よりはキリスト教が日常という環境下で育ったと言えるでしょう。

その私が、「欧米を一般日本人より理解している」と言えるかどうか?

ごく限られた場面を除いて、「より理解している」と思った事は殆どありません。海外在住の日本人が書いた生活文化に関するエッセーを読んだり、海外在住の日本人配偶者の特集番組を見たり、国際政治のしっかりした専門家の分析を見たりしても、「ああ、一般日本人より、キリスト教の中で生活した自分は、欧米文化を分っている、欧米政治を分っている、欧米人のキャラクターを理解している」と思う事は一切ありません。

たまにネットで、海外の政治経済文化等について穴がある記事や評論に対してツッコミを入れますが、それは「キリスト教」という要素抜きの突込みが8割以上を占めます。残り2割も、「教会組織」を話題にしている場面が殆どであって、それは「キリスト教の知識」と言うよりも「教会組織についての知識」と言った方が良いものです。礼拝の分類での誤報に突込みを入れた事はありましたが(動画)、これは「キリスト教理解による一般文化の理解が必要」な場面ではなく「正教会自体についての前提知識が、正教会自身の事物の理解に必要」な場面であって、「一般の政治経済文化」への拡張、ではありません。

「キリスト教の知識があるから、文化・政治一般の理解が深まっている」と思える事は、まず無いというのが現実です。祭壇奉仕、13歳の時には西方教会で礼拝の司式までやっていた私が、20歳で正教信者になるまで、「自分は欧米の文化を周りの日本人より分かっている」と思った事は殆どありませんでした。

「キリスト教を理解しなければ欧米文化は理解出来ない」と仰る御説自体に、私は小さく無い違和感を感じます。

今の私が、正教が優勢な国々の文化や地理について一般日本人より若干知っているように見えるのも、「祈って居るから」「聖書を勉強したから」「神学を勉強したから」ではなく、単に当地について書かれたエッセー(シメオン川又一英兄によるような作品)や記事、評論を幾つか読むようになったからであって、間接的影響以上のものはなく、本物の専門家にかなう知識はありません。

試みに、日本人信者(正教、カトリック、プロテスタント問わず、特に「親が信者なので自分も信者です」という人達…何らかの外国文化を入り口として信仰に入る率がほぼ皆無な層)にアンケートをとってみれば良いのです。「貴方は今まで、『自分はキリスト教の信者だから、欧米文化が分る』と思った事が頻繁に、もしくは日常的にありましたか」と。

多分「殆ど無い」が大勢を占める筈です。

あるいは、私のような育ちの者も知らないレベルまで「キリスト教を理解」する必要があるのだ、という御説もあるかもしれません。しかし(出鱈目本を避けつつ、読む本を厳選しつつ)それほどのレベルに達する時間的余裕のある一般の方がどれ程いらっしゃるのでしょうか。また、研究者であっても、そのような水準が要求される研究分野が、それほど多いものなのでしょうか。

● 大前提:キリスト教は「欧米の宗教」ではありません。

前提として、「キリスト教は欧米の宗教」ではありません(「欧米で多数派なのはキリスト教」とは言えますが…「逆も真」ではありません)。

◇ 発祥は中東(西アジア)
◇ 7世紀までの神学の中心地も中東(西アジア):アンティオキア(今のトルコとシリアの国境の辺り)とアレクサンドリア(エジプト)。
◇ 今に至るまで西アジアにも多くの教会が存続し、無視できない割合で存在している(シリア、エジプトでそれぞれ1割 ※1)
◇ レバノンでは約半数弱がキリスト教徒。
◇ 東欧では正教会が圧倒的優勢。
◇ そもそも西欧米でもキリスト教は退潮傾向にあり、「深い理解」を持って居る信者の数は減るばかりになっている(「無意識の領域でキリスト教の影響がある」と言われる事があるのですが、無意識について簡単過ぎる考察はふつう避けた方が無難でしょう)

「欧米を理解するにはキリスト教が必須」と言われるのがちょっとよく分りません。「キリスト教を理解したらレバノンの政治経済文化がより理解出来る」と言われる事は無いのですが、それはなぜでしょうか。

また、「近代民主主義の基盤にはキリスト教がある」といったお話も、以上の前提を考えますと眉唾です。近代民主主義が根付いていないか歴史が浅いと一般に捉えられる、東欧・中東における古い系譜をもつキリスト教は、「偽物のキリスト教」なのでしょうか?(実際そう仰る方も居ますが、それは典型的な西欧中心的な発想であり、もはや時代遅れなのは言うまでもありません)

● 西欧・米国における、キリスト教を題材にしている映画、小説のネタを知る程度であれば、(質にもよりますし偏向が書き手によってある事を差し引いても)「聖書漫画」で十分です

「キリスト教を題材にしている映画・小説」については、「キリスト教についてある程度理解」していないと楽しむのは難しいと思われるでしょう。

そこで、「欧米文化を知るためには、しっかりした本、せめて新書一冊(※2)はしっかり読んで、しっかり把握しなければ」と、思われる方が多いようですが…。

異論もあるかと思いますが、研究者ならともかく、一般の方であれば、少なくとも西欧・米国による、小説、映画などの理解に限っては(質にもよりますし偏向が書き手によってある事を差し引いても)「聖書漫画」を読む事で、取り敢えずは十分だと私は思います。

私は何も、「精確な知識を沢山本を読んで身に着けるべきです」という趣旨で「ふしぎなキリスト教」を批判したのではありません。むしろ逆で、「文化理解、程度の目的であれば、むしろ素直に聖書のストーリーを頭にダイジェストとしてイメージする位で、当面、不足ない」と思って居ます。

誤った知識・分析(とすら言えないような出鱈目)を苦労して頭に入れるよりも、「聖書のストーリー」が(漫画ででも)頭に入っていた方が、絵画や小説の内容を理解するには遥かに費用対効果に優れて居ます

なお、「西欧・米国の文化に限っては」と申しましたが、正教圏については残念ながら少々事情が異なります。聖書の情景や解釈について、西方との距離が小さくありません。また、正教会が出して居る「聖書漫画」はありません(※3)。

ドストエフスキー等を読む際には、「ちょっと違う聖書の理解をしているけれど、これはドストエフスキー独自の解釈、ではなく、正教の解釈なのかもしれない」とお読み頂ければと思います。

● ここまでの箇条書きまとめ

○ 信者は「欧米理解のために信じている」訳ではありませんし、実際欧米のことなど大多数はよく分りません。
○ 「キリスト教を理解」しても「欧米が理解出来る」ことはありません(※4)。
「教会の違いによって、異なる描写・解釈が有る」(※5)という留保が必要ですが、聖書漫画を読むのが、「キリスト教を題材とする映画、小説の理解」には近道です(「異端」発行の聖書漫画には注意しなければなりませんが ※6 ※7)。

● 何かを「理解」するための教会ではありません

最後に付け加えます。

「欧米を理解するため」「ギリシャを理解するため」「ロシアを理解するため」に正教会があるのではありません。さらに言えば「正教会を理解するため」ですら無いのです。聖職者として私が「理解を深めるため」の手段をお教えする事はありません。

勿論それらをきっかけとして門を叩いて来られた方は大歓迎しますが、あくまでそれは「きっかけに成り得るもの」以上のものではない事を知って頂きたく思います。

正教会では、神は全ての人々を救うことを願われて、教会に人を招いておいでです(※8)。

信者は自らの「海外理解を深める」「神学理解を深める」ためではなく、「救いに与る」ために教会に集います。

「救い」とは何かという説明が必要かもしれませんが…これについては、実際に教会においでになって、聖体礼儀に参祷頂き、体験を分かち合って頂くほかありません。

「泳ぐ」とは何か、という説明を百回聞くよりも、百回プールで泳ぐ練習をする方が「泳ぐ」ことが「分かる」には近道でしょう。

教会は評論家の集いではなく、神と人とが共に働く「プレーヤー」(player:行動する人、prayer:祈る人)の集いです。

正教会での「生涯プレーヤー」が増える事が私たちの願いです。


※1…少ないように見えますが、日本で「1割」と言ったらどれほどの影響力を持つかを想像して頂ければ、「1割」は「少数派」とは言えません。ちなみに今の日本では、キリスト教徒の割合は1%を超えないとされています。

※2…しかし本当に「しっかり把握する」ならば、新書一冊で済むはずがないのですが…。

※3…これは「出すべき」「出しても良い」「出すべきでない」と色々な見解があると思います。可否・適否については、ここでは敢えて私の結論も申しません。

※4…欧米における思想史・教会史を理解しようとしたら外せませんが、「映画、小説、料理、芸能」を楽しむレベルにおいては、「キリスト教を理解しなければ」と意気込む必要もメリットもありません。

※5…たとえばユダ(イウダ)が機密の晩餐(最後の晩餐)で、領聖(りょうせい…キリストの尊体尊血となったパンと葡萄酒を食べ飲む事)していたかどうかは、ある聖書漫画では領聖する前に晩餐の席を立って出て行ってしまっていますが(つまり領聖していない)、正教会では領聖していたと伝えています。これは聖体礼儀において重要な解釈の違いの一つです。

※6…その際、一般に「異端」と認識されている教派のものを選ばないように注意が必要です。いずれ本ブログでも「これはある程度役に立つ漫画」を紹介するかもしれません。

※7…さらに、漫画には「権威」がありません。大概は何割かは差し引いて読む筈です。出鱈目な内容の新書等を「学者の書いたものだから9割9分正しいだろう」と信じ込むような弊害が小さいというのもメリットです。

※8…「正教会だけが」こういう理解をしている、という意味ではありません事をお断りします。正教会以外にも同様の理解をしている教会はありますが、そうではない教会もあるので、敢えてここでは「正教会では」としています。

2013年12月10日 (火)

降誕祭(クリスマス)の意味(一人、イルミネーション、夜勤などの話題も)

今年も降誕祭・クリスマスの季節がやって参りました。

人生で「幸福だ」と思える時はとても少ないものです。ですから降誕祭に恋人や家族と思い出を作っている人に、殊更に水を差すつもりは有りません事を前提としてお断り申し上げます。

 リア充(男女のカップル)向けのイベントというもったいない理解

降誕祭が「リア充(男女のカップル)向け」とのイメージで語られる事について、「信者は腹を立てるのではないか」と言われる事があるのですが、特に腹が立つ、という事はありません。

ただ、「クリスマス撲滅運動」というものが反発として世間の一部で起きてしまっている事と併せて、「怒る」というよりも、「大変残念」な気持ちが致します。本来の喜ばしい意味が欠片も伝わっていないからです。

また、少子高齢化が進み、かつカップル率がどんどん下がっている今、「カップル対象の祭」なのであれば、その対象となる人は年々減っている事になります。

主の降誕祭(クリスマス)が、どんどん少なくなっている限られた幸せな人を主な対象とする祭りと思われる事は、大変残念で、もったいない話です。

 降誕と、イルミネーションの意味

主の降誕祭(クリスマス)は、真の神であり真の人でいらっしゃる、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)が、私たちと同様に女から生まれ、この世に来られた事を記憶する祭りです(※1)。待ち望んでいた救い主がこの世にお生まれになった事を喜びます。

真の神であり真の人でいらっしゃる主イイススがこの世にお生まれになった事で、この世が輝かしいものとなりました。ですから教会でもイルミネーションを飾り付けてお祝いします

実にイルミネーションは、日本で行われているクリスマスの習慣の中でも、教会的な意味が失われていない、数少ない習慣の一つです。

※1…子供向けに「分り易く」、「イエス様の誕生日だよ」と説明する事がありますが、本来は教会においても、教会外においても、「誕生日」とは捉えられていません。古代には5月にお生まれになったのではないかと推測された事もありました。主の降誕祭は、あくまで「主イイスス(イエス)の降誕を【記憶する日】」であり、「誕生日」ではありません。

 「心の貧しい者はさいわいなり」(マタイ53節)

注目すべきは、最初に幼子・主イイスス(イエス)を礼拝しに来たのは、羊飼いであったという事です。羊飼いは金持ちではありませんでした(※2、※3)。次に礼拝に来たのは、異邦人の博士たちでした。

主イイススは洞穴にお生まれになりました(※4)。宿屋は人々で一杯だったからです。

救世主を待ち望んでいる筈のユダヤ人達は、羊飼い達を除いて、幼子イイススを礼拝しにやって来ませんでした。礼拝にやって来なかったばかりか、宿一つ、提供することもありませんでした。

これは当時のユダヤ人達だけに限ったお話ではなく、現代の私たちにも向けられたお話です。しばしば(信者、非信者問わず)、私たちの心もこの世の事で一杯です。主イイスス・ハリストスをお迎えする余地がありません。 

主の降誕祭(クリスマス)は、私たちの貧しさ(心の貧しさ)を自覚する謙遜さと、主イイススをお迎えする心の余地が私たちに必要な事を教えてもいるのです

それは主の降誕祭に限らず私たちに求められる心構えですが、主の降誕祭は特にこの事を想い起す機会です。

※2…そしてもちろん、羊飼いが主イイススを拝みに来た時、異性同伴ではありませんでした。

※3…聖書において「貧しい」「貧しさ」と言った場合、「この世の富」を意味するのではなく、「心・たましいの貧しさ(を自覚する謙遜さ)」と結び付けて解釈されます。自らの「心・たましいの貧しさ」を自覚する謙遜な人は、神に喜ばれるさいわいな人です。この世の富という面での貧しさは、心の貧しさの自覚という謙遜に結び付くきっかけでもあります

※4…正教会の伝承では「馬小屋」ではなく「洞穴」となっています(実は聖書には「馬小屋」とは書かれていません)。羊飼い達が飼料を置いて利用していたのは、荒野の洞穴であり、ここに主イイススがお生まれになったと伝えています。羊飼いが拝みに来た時は、主イイススは生まれたてで洞穴においでになり(ルカによる福音書2章8節~20節)、異邦人の博士たちが拝みに来た時には家に移って居ました(マタイによる福音書2章1節~12節)。

 「家族のための祭り」なのでしょうか

降誕祭はカップルのためではなく、家族で祝う祭り、と説明される事があります。確かに家族でお祝いする事が出来る人は幸いですし、神様もそれを喜ばれます。

しかしながら、主イイススを礼拝しに来た人々は「家族」ではありませんでした。家族とともに過ごす事すらできなかった貧しい羊飼い達が夜中、野宿して羊の番をしている時に(夜勤中)、天使たちからのお告げを受けて、幼子を拝みに向かいました(※5)。

先程、「イルミネーションは教会の教え(この世が救世主の降誕によって輝かしいものとなったこと)に一致します」と説明しました。

独身の方が、また夜勤中の方が、街を歩いていてイルミネーションを一人で見る時、「世間ではカップルがこれをロマンチックに観ているのに、家族が一緒に楽しんでいるのに、自分は…」とは、どうか思わないで頂きたいと思います。

主イイススを礼拝したのは、カップルでも家族でもなく、夜勤中の羊飼い達であり、遠くからやって来た異国人達でした。

主イイススを待ち望み、心に主をお迎えする余地があることが大事です。

一人でも、恋人・友人・家族と一緒であっても、いずれであっても「神であり人である主イイススを、心に余裕を用意してお迎えする」事が、降誕祭の本当の「意味」になります。

※5…聖使徒シモンとアンデレも、海に網を打っている時(労働中)に主イイスス(イエス)に声をかけられ、主イイススに従いました(マタイによる福音書4章18節~20節)。羊飼いも聖使徒達も、労働中に神に呼ばれました。これは労働が、神に喜ばれる、神に向かう機会であることを示しています。修道院で祈りと労働が大事にされて来た伝統に反映されています。「キリスト教では、労働は神による罰」というのは通俗的によく言われますが、ごく単純な誤りです(ただしもちろん、過労も、労働の強要も間違いです)。参考トゥギャッターまとめ→キリスト教は労働を否定している?

 降誕祭を「静かに過ごす」事の意味

降誕祭の夜(クリスマス・イブ)は、一人の人も交際中の男女も家族も静かに過ごすよう古くから教会で教えられています。主イイススをお迎えする余地を心に静かにつくるためでもあり、また、私たちが神様をお迎えする余地をしばしば心に用意していないことを反省する機会でもあるからです。

街のイルミネーションを御覧になった時、一人の方も、カップルも、御友人で集まっている人達も、御家族も、どなたがこの世にお生まれになったことでこの世が輝かしいものとなったのかを思い出して頂きたいと願っております

そして、主イイススを礼拝する輪に、一人の方・恋人同士・友人同士・家族、どなた様も加わって頂きたいと願っております

羊飼い達だけでなく、異邦人達も礼拝に来ました。

教会はどこかの民族・人種のためのものではなく、全ての人を救いの道に招いています。

 日付

ニコライ堂(正教会の教会です)での奉神礼(礼拝)日程

○ 122418時半~20時半頃(新暦降誕祭 晩祷)

122510時~12時頃(新暦降誕祭 聖体礼儀)

1618時~20時頃(旧暦降誕祭 晩祷)

1710時~11時半頃(旧暦降誕祭 聖体礼儀)

* 終了時刻は毎年変動し、もっと伸びるなど、上記と異なる場合があります。予め御了承下さい。

* 信者ではない方も御参祷頂けます。聖堂にいらした際には、入口におります名札を付けた係りの者の指示に従って下さい。また、聖堂入口での蝋燭献金への御協力をお願いします。

2013年11月22日 (金)

「ロシア正教会は正教会の盟主」?

本を読んで居ると、「ロシア正教会がある時点以降、正教会の盟主になった」という表現を目にする事が多々あります。

○ 1448年にロシア正教会が独立を宣言
○ 1453年にコンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル、コンスタンティノポリ)が陥落
○ 1589年にモスクワ総主教座がロシア正教会の首座主教座として承認されたこと

以上3点のうちいずれかの時点から、「世俗権力の後ろ盾を失ったコンスタンディヌーポリ総主教に代わり、ロシア正教会が正教会の盟主になった」と書かれている事があるのですね。

他の諸点では私も大いに勉強させて頂くような碩学ですら、このような間違いを本になぜかあっさり書いておいでの事がありますので大いに面食らいます。当惑するほど簡単に反証が挙げられる間違いなのですが、どこかに典拠があるのか、なかなかこの表現「ロシア正教会=正教会の盟主」は消えません。

今回は、これが間違いであることを反証付で簡単に示します(簡単に示せる間違いであり、かつ大枠で間違いであるため、「どうでも良い細かい間違い」ではありません)。

● 反証
1.モスクワ総主教に与えられた序列は「第五位」
総主教は基本的に対等なのですが(※1)、席次といった「序列」のようなものは定められて居ます。モスクワ総主教座成立時に与えられた格付けは、コンスタンディヌーポリ、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムに次ぐ「第五位」でした。

「第五位」で「盟主」という事が有り得るでしょうか?

2.聖務会院時代(Синодальный период)には、ロシアに総主教は居ませんでしたが、その際の「盟主」は?
御存知の通り、モスクワ総主教座は1721年、ピョートル1世により廃止され(モスクワ総主教座空位は1700年から)、俗人官僚が統括する聖務会院が設置されました。これ以降1917年まで、ロシア正教会には総主教が不在であり、聖職者の中では府主教が席次上高位の主教として存在するのみとなりました。

その時、「格上」に当たるコンスタンディヌーポリ総主教をはじめとする総主教達を、ロシア正教会を集団指導する府主教、大主教、主教の集団が上回っていたのでしょうか?

3.バルカン半島の歴史、ウクライナの歴史
上の「1、2」は「名義」「格付け」の問題ですので、あるいは「実力という面でロシア正教会が一番であり盟主と言える存在だった」と仰る方がいらっしゃるかもしれません。

しかしこれも残念ながら間違いです。

バルカン半島がオスマン帝国に征服された後、(かつてブルガリアやセルビアに与えられた独立正教会位を破棄した上で)現地の正教徒達を管轄したのはコンスタンディヌーポリ総主教でした。ブルガリアの正教会は19世紀にエクザルフ教区(総主教代理教区)の地位を獲得する過程を経て再独立していきますが、その際に主要な問題となったのはあくまでギリシャ人主体のコンスタンディヌーポリ総主教庁との関係であり、ロシア正教会は殆どここに絡んで来ません(※2)。

セルビアは一時期総主教座を回復する時期もあったものの、またルーマニアは「再独立」ではなく「新規独立」であったものの、独立に際してコンスタンディヌーポリとの関係が問題になり、ロシア正教会は殆ど絡んで来なかったという点ではブルガリアと同じです。

また、問題はウクライナです。その歴史認識が大いに論争になる領域であり非常に難しい地域なのですが、17世紀半ばまで、キエフ府主教を管轄していたのはコンスタンディヌーポリ総主教庁でした。モスクワ総主教庁がウクライナにおける正教会を管轄する事が定着していくのは17世紀も末になってからです(※3)。しかもそれはロシア帝国の影響力の拡大・版図の拡大と軌を一にする以上のものでは無く、いわばロシア正教会がウクライナを管轄するようになったのは「国内管轄範囲の拡大」以上の意味合いはありませんでした。

自国の正教会に影響力が止まり、隣国の正教会にすら決定力を及ぼせない存在を、「正教会の盟主」と呼べるでしょうか?

● 結論
19世紀に極東(中国、日本)、アラスカ(しかし当初はロシア領)に対して宣教をしていったことは、確かに他の同時代の地域の正教会にはみられなかった「外へ向かう」姿勢であり、基本的にロシア正教会は「世界最大の組織」ではあり、それに見合う伝統も有していました。しかし幾つかの例外を除き、基本的にはその管轄はロシア帝国の版図に止まるものでした。

ロシア正教会には「正教の盟主」と呼ばれるのに相応しい名義も格付けも無ければ、ロシアを越える影響力もありませんでした。これが歴史的事実です(※4)。

「第三のローマ論」が引き合いに出されることもありますが、自分を大きく見せようとする願望はどこの誰にでもあります(※5)。実際にそのように呼ばれ得る実体や名義があったのかはまた別の話です。

そもそも明治時代に日本語訳されたロシア正教会による当時の教会法の教科書にすらも、「ロシア正教会は正教の盟主」とは書かれて居ません。

なお、日本正教会の母教会はロシア正教会であり、今も自治正教会たる日本正教会を庇護しているのはロシア正教会です。しかし「子教会」を持つ「母教会」は他にも複数あり、子教会があることはロシアだけに限定されるものではありません(むしろコンスタンディヌーポリ総主教庁の方が例が多いのです)。

基本的理解としては「総主教達・独立正教会は対等。コンスタンディヌーポリ総主教がその中では第一人者として挙げられるが、基本的に対等という原則は崩れない。」が正解です。

参考文献
○ 三浦清美『ロシアの源流』講談社選書メチエ
○ History of the Bulgarian Orthodox Church

※1 … コンスタンディヌーポリ総主教に、他の総主教に無い特権をどこまで認めるかは教会法の解釈論争があり、主にギリシャ系の学者とロシア系の学者で見解は割れて居ます。他方、少なくとも「見解が分かれ得る」ことは、コンスタンディヌーポリ総主教の権限が「絶対」的なものでは無いことの例証でもあります。

※2 … なぜか同じ本に「ロシア正教会は対外的に関心を殆ど持たず、ロシア帝国内の正教会の維持、せいぜいが帝国内の異教徒の改宗に関心が止まった」といった記述と、「ロシア正教会は正教会の盟主」といった記述が同居している事があります。「対外関係に関心を払わない盟主」って、矛盾した表現・認識だと思うのですが…(「外に関心は無く影響力も行使せず(出来ず・無く)名義も格付けもトップでは無かったが、しかし盟主」?)。

※3 … つまりウクライナを管轄するようになってからあまり時間を置かず、モスクワ総主教庁はロシア皇帝によって廃止された事になります。随分弱くはかない「盟主」です。

※4 … 私個人にはロシア正教会と浅からぬ関係があり、ロシア正教会が「盟主」と勘違いされる程に「過大評価」される事は個人的には面白いとは思いますが、だからといって単純明白な事実を否定することはできません。なお、「盟主」と言える程ではないにせよ、ロシア正教会の影響力が対外的に拡大したと言えるのは、皮肉な事に、ロシア帝国崩壊により、ロシア国外に亡命ロシア人によるロシア系正教徒のコミュニティがまとまって形成されて以降です。

※5 … ただ、「第三のローマ」論を最初に言い出したとされるのはプスコフの修道士フィロフェイですが、プスコフはモスクワ大公国によって征服された側です。フィロフェイおよび当時広く流布していた終末思想との結び付きも指摘されますが、いずれにしろその発祥は、単に「自画自賛」として使われた言葉ではありませんでした。

2013年11月 4日 (月)

「外部の人」に必要な「宗教の知識」

● 「正教について一応知っておきたい」という方に私がお話すること

「信者になるつもりはありませんが、宗教については知っておきたい」という一定の需要が世の中にはあります。

かく言う私も、無論仏教徒になるつもりはありませんが、仏教の一応の概略は知っておきたいと考え、僅かながら何冊か読んでもおります。

私含む聖職者、信者は、「信じてもらう」事が一つの喜びであり目指す所である以上、「信者になるつもりは無い」と前提として宣言されてしまいますと、正直寂しいというのが本音です。

しかしそのような需要がありますのが現実です。ニコライ堂の拝観・見学にいらっしゃる方々には、出来る限り「解り易く」お話するよう努めております。団体さんの中にはリピーターとなられる方々もいらっしゃいます。最近では他教会(プロテスタント)の神学生さん方の見学も増えていらっしゃいますが、仏教のお坊さん、あるいは修行中の方々による見学も若干ありますね。

さて、そういう方に、「知識としての正教」をお話する際、「私達(正教信者)がどのように信じているのか」というお話のみを致します。「客観的(?)に見て、正教会の性質とはこういうもので、西方教会(ローマカトリック、プロテスタント)との違いはかくかくしかじか、仏教・神道との違いは云々」という話は殆ど致しません。

第一の理由として、「客観的」「比較」というのは大変難しいという事が挙げられます。いずれについてもよく知らなければならない上に、そもそも純粋に「第三者的に客観的」という姿勢が有り得るのかどうか?

宗教のような領域で「あらゆる偏見から自由」というのは有り得ません。しかも、「正教は客観的に見て正しいから信じる」ものではないのです。「客観的に正しい」のなら「正しい」事を「知る」だけで済むのであり、「信じる」必要はありません。ですから皆様にも「客観的に見て正教は云々」とはお話しません。

しかしもっと大事な理由があります。

時間の制約(大体30分位で説明申し上げます)の中で、「客観的な分析」「比較」は、「99%、必要無い、役に立たない知識」だからです。

● 私が神道・仏教について「知りたい」「知るべき」優先順位

正教、キリスト教の話ですと分りにくいと思う方も多いでしょうから、私が神道・仏教について「知りたい」と思う事を例に出します。

私が「知りたい」と思い、私に「必要」な、神道・仏教についての知識とは、「今の日本で神職や氏子がどう考え、どのような行動様式に反映させているか」「今の日本で住職や檀家信徒がどう考え、どのような行動様式に反映させているか」です。

「記紀神話の真実」「ブッダの覚りとは実際にはどのようなものだったのか」といった事には、私は全く関心がありません。なぜならそれは「信者が持つ関心」百歩譲っても「研究者が一般向けでは無い論文レベルで持つべき関心」でありこそすれ、「外部の人が持つ関心」では無いか、関心があったとしても、人と人との関わりの際に参考になるものとしての優先順位は極めて低いからです。

お葬式で神職や住職がどのような話をしているかは、「今の神道の教え」「今の仏教の教え」を知ることが、外部に居る私には最も直接的に役に立ちます。そして神社やお寺とほぼ全く関係を持たずに育ってきた私が、神道や仏教に属する人達相手にお話する際(※1)に何に気を付けて話さなければならないかは、それで足りるのです。

● 良くて「学者独自の『説』止まり」、悪ければ「お笑い珍説」を読む事に、何の意味が?

ところが逆の立場で、「信者になるつもりは無い」人向けに書かれる「キリスト教入門」関連の書籍は、「キリスト教の本来の教えはこうだ」「イエス・キリストは本当はこう教えていた」というものが多く、またそれらが「教会が言う教えよりも解り易い♪」として売れますね。

不思議です。「本来の教え」「イエス・キリストは本当はどう教えていたか」という説(実は断言される口調のものが多いのですが、実際は「説」止まり、「少数説」どころか「珍説」でしかないものを「断言」している本も少なくありません)を信者以外の方が知って、何の役に立つのでしょう?

もちろん「役に立つ」知識だけが価値あるわけでは全くありませんが、この手の「キリスト教入門書」は、「世界が解るようになる」「芸術作品の理解に欠かせない」とか、「役に立つ」を謳っているものが殆どで、買う人も「役に立たせる」事を目的に買うことが多いようです。だとしたら「役に立つか立たないか」は、この場合にはとても大事なポイントの筈です。

実際には、良くて「説」止まり、悪ければ「珍説」が書かれている本を読んでも、「芸術家による作品制作意図」が解る事は全く無いのですが…。

勤勉な学者による気鋭の新説ならまだ面白みもあるかもしれませんが(しかし一般人にどこまで意義があるかはやはり疑問)、不勉強な「学者」による、知識不足から来る単なる珍説が書かれている本(残念ながら結構あるのです)が「文化の理解の役に立つ」事は決してありませんし、「面白さ」すらもあるとは思えません。

まさか一々キリスト教徒に論戦を仕掛けて「お前の信じている内容は実は間違っている!」と論破するためでもありますまいし…※2(日本人にはそういうタイプの人は僅かですよね)。

● キリスト教についても、まずは「教会(正教、ローマカトリック、聖公会、プロテスタント諸派)がどのように教えているか」が直接的に役に立つのです

「キリスト教圏で作られた絵画、音楽、映画、小説などの理解を深めたい」のなら、該当作品の地域で優勢な教会、作家の背景となっている教会によって書かれた入門書を読んだ方が、「客観」「第三者」を標榜する独自珍説を読むより、よほど手っ取り早いです※3。

どうしても時間が無い等の理由で、「一冊にまとまった本で、全教会(正教、ローマカトリック、聖公会、プロテスタント諸派を網羅した入門書は無いか」とお考えの方には、なんでもわかるキリスト教大事典 (朝日文庫) をお奨めします。

「キリスト教が社会に与えた影響云々」については、勉強不足な社会学者によるものを読むよりも、山川出版による高校世界史の教科書を読んだ方が遥かによく纏まっています。専門家の観点から見れば宗教関連の記述についても端折り過ぎ、あるいは間違い時代遅れな見方、と言える部分も少ないとはしませんが、今の日本では最もマシな部類に入ります。

とにかく「第三者として『真の教え』を解説します」という類の本は、大体、勉強不足で間違いだらけか、勉強面では優秀な学者さんによる労作であったとしても、芸術鑑賞などの理解を深めたいとお考えの一般の皆さんには役に立たない代物だとお考えになって間違いありません。

※1…正教信者でない方が大勢集まるお葬式での説教の際などに、要求される教養です。

※2…大体この手の浅知恵による「論破」は無駄です。外部の人が考え付くような矛盾や疑問は、大概は中の人は既に抱いて、しかも解決済みもしくは気にしなくなっている事が多いので。

※3…逆に該当地域や作家の所属教会から外れたものを読みますと、あまり役に立たないどころか誤解の元になったりします…。例えばロシアのドストエフスキーをより理解しようとして、ローマカトリックやプロテスタントによる「キリスト教入門書」を読みますと、「ドストエフスキーのキリスト教理解は彼独自のものである」という頓珍漢な結論になってしまったりします…。正教の入門書を見れば、ドストエフスキーの小説の背景にあるのは標準的な正教会だという事が分かり、決して「ドストエフスキー独自のキリスト教」という事にはなりません。むしろそういう頓珍漢な解釈の方が「学者独自の解釈」になってしまっています。

2013年8月 6日 (火)

亜使徒:聖ニコライは何を伝え、何をなさったのか

最近、本年(2012年 ※1)は聖ニコライ永眠100周年ということで、様々な媒体で亜使徒聖ニコライのことが各種書籍・メディアで取り上げられることが多くなっております。

取り上げられること自体は、一般論として大変喜ばしいことです。しかし「聖ニコライは何を日本に伝えたかったのか」ということが完全に無視されていることが少なくないことには、残念に思います。

よく目にする、残念な記述のパターンは以下の通りです。

1.ニコライ大主教はロシア正教を日本に伝えました
2.ニコライ大主教の功績は、ニコライ堂を建てたことです
3.ニコライ大主教はロシアと日本の架け橋になりました

一般の方がお間違えになるのは知名度の低さ(私どもの努力不足でもあります、申し訳ありません)もありますので仕方ありませんが、研究者、記者、作家の皆様には、どうかお間違えになりませんよう、お願いしたいところです。


【「1.ニコライ大主教はロシア正教を日本に伝えました」について】

まず、聖ニコライが伝えたのは「正教」であって「ロシア正教」ではありません。

そもそも「ロシア正教会」というのは組織名であって、「ロシア正教」という「教え」はありません。「無い教え」を「広める」ことは不可能です。しかもロシア正教会が独立正教会となったのは1448年。1448年まで「ロシア正教」という「教えが無かった」のでしょうか。もちろんそんな事はありません。

あくまで正教の「教え」は初代教会から今に至るまで一つです。後代に成立していった自立した教会組織であるギリシャ正教会もルーマニア正教会もグルジア正教会もロシア正教会も、同じ教えを信じており、もちろん日本正教会も例外ではありません。

聖ニコライは「正教を伝えた」「東方正教を伝えた」が正しい表現です。

20世紀セルビア正教会の克肖者聖イウスチンは、ドストエフスキーについて正教の観点から解説しています。正教のネットワークは、ロシアに限定されていないこと、多国間でのコミュニケーションは、外部で思われているよりも遥かに日常的頻繁に行われていることを、強調しておこうと思います。

正教は全世界に一つの交わりの中に広がっております。

聖ニコライは「我々はロシアの教会を広めているのではない、唯一の聖、公、使徒の正教会を伝えている」という意識を常に持ち、「ニコライはロシアの教会を広めている」という誤解、及び誤解に基づく非難・中傷・嘲笑に対し、誤解を解くよう常に努めておいででした。

これは別に私が司祭として「護教的」にそう言っているのではなく、聖ニコライの日記や各種記述などを分析し研究してきている、信徒ではない外部の研究者(中村健之介氏、長縄光男氏など)によって、客観的に明らかにされている歴史的事実です。

「ロシア正教と言っておいた方が解り易い」といった動機は、研究者の業績を無視し、かつ聖ニコライの時代に日本人が持っていた偏見と誤解の位置から一歩も進んでいないものです。

以前の日記でも書きましたが、鹿島田真希さんの芥川賞受賞の報道の数々に、「鹿島田さんはロシア正教徒で」といった表現が何度も出て来ました(正解は単に「正教徒」です)。

100年経っても聖ニコライが解こうとしていた誤解を繰り返すのは、果たして適切な態度と言えるのでしょうか。「聖ニコライについて記述する」「日本の正教会について記述する」のであれば、100年前の創立者が解きた いと切に願っていた誤解くらいは、解いて頂いても宜しいのではと思うのですが、いかがでしょうか。


【2.ニコライ大主教の功績は、ニコライ堂を建てたことです】

言うまでもなく、ニコライ堂を建てられたことは聖ニコライの偉業の一つです。

しかし「建物を建てる」ことが正教における救いの中心ではありません。何よりも「正教の生活を人々に伝え、(建物ではなく、救いの奥義としての)教会を遺された」ことが中心的功績であり、祈祷書や聖書を翻訳されたことも合わせて言及されるべき偉業です。

ふつう、他派の宣教師について言及される際、「建物を建てたことが第一の功績」のように紹介されることはありません。もちろん日本正教会内でも「建物を建てたのが第一の功績」などとは言われません。

ところが、なぜか、正教の、聖ニコライについてだけは、「建物」ばかり言及されるのです。実際に建物しか功績が無いのであれば致し方無いですが、事実は全く違います。特に正教会の祈祷書・聖書を翻訳された聖ニコライの日本語力は、文学史面でも特筆に値する筈なのですが、なぜか一般には殆ど言及されません。

聖ニコライは建築家でもなければ建築のパトロンでもありません。まず、聖ニコライは「正教を宣教された主教でいらした」ことをメインに念頭に置いておかれたいと願います。


【3.ニコライ大主教はロシアと日本の架け橋になりました】

これは、部分的には正解です。大津事件直後のニコライ皇太子訪問や、日露戦争中の捕虜慰問活動などは、確かに該当します。

しかし聖ニコライの生涯のうち大半は、「日本人に正教を広める」ことに割かれ、全国に正教を広めようと尽力されておいででした(ちなみに余談ですが、聖ニコライが広く日本の各地を廻られた際の日記は、外国人旅行者が明治時代の日本の観光地でもない農村漁村を見てつぶさに記録した一級史料としても価値のあるものです)。

生涯の大半の活動を無視して、一時期の活動だけをクローズアップするのは、バランスある態度とはふつう申せません。あくまで「架け橋」としての活動なされた、というように、表現に気を付けなければならないところです。


【まとめ】

まず、正教は「ロシアの宗教」でもなければ「建物の宗教」でもありません。仮にそうなら、ロシア革命で帝政ロシアが倒れて日本の正教会への援助が完全に途絶えた時、もしくは関東大震災でニコライ堂が崩れていた時に、日本正教会は完全に息の根を止められて居たでしょう。

そうならなかったというのは、神の計り知れない恩寵のもと、【正教】の信仰のもとに生き、靈(たましい)の救いを得続けた人々が日本に確かに居た、そして今も居ることの証です(※2)。


※1 本記事は、2012年9月6日(木)に作成し、前ブログの消去に伴って消滅したものの内容を、一部修正の上で復活させたものです。

※2 【まとめ】にあるような信仰の話を抜きにしても、日本正教会の聖堂を紹介するにあたって「ロシア正教の聖堂です」と呼ぶのは、ギリシャ正教会の教会を「ロシア正教の聖堂です」と呼ぶようなものです。つまり別の組織に所属するかのような誤解を与えかねない表現なのであり、全く「解り易く」なっていません。「解り易い表現」への誘惑には誤りへの落とし穴があるというのは、どんな分野でも同じです。

2013年7月30日 (火)

正教信者になった動機の一部(唯物論から正教へ)について:救いの可能性は無限です

「なぜ正教会に入ったのですか?」「なぜプロテスタントから正教に移ったのですか?」とよく聞かれます。

きっかけなら様々なものがあります。牧師である父に「勉強になるから連れて行く」と言われて4歳の時にニコライ堂を訪れた時の体験の強烈さ。ラフマニノフの「徹夜禱(晩禱)」を聞いて魅了されたこと。など。

しかし中心の動機については、あまり語って参りませんでした。そもそも正教において「『証』を(不特定多数を相手に)語る」という習慣そのものが希薄です。理由は幾つか説明できます。

あまり個人的な体験・経緯を不特定多数に対して話すと、信仰の特殊性を強調し、他の方にとっての「敷居」を上げてしまいかねない
(これから述べる)メインの理由だけ読むと、非常に哲学好きで理屈ぽく複雑な人格のように思われるかもしれないが、実は喜怒哀楽といった面では非常に単純な性格で、20代までは部活もプレステもお酒も恋愛もバイトもする、所謂「フツー」の若者の顔もあったのに、キャラクターについて一面的に理解されるのは、公私ともにプラスにはならない
当然ながら「語れる範囲」と「語れない範囲」がある。無意識の部分もある。「公開で語れる範囲」だけが真実では無い(周囲への配慮もあれば見栄もある)
誰がどのように救われたかは、聖人の生涯の方が遥かに参考になる。実際、私の人生はまだ道の途上であり、「ゴール」まで語られている聖人伝に勝るものはない

などです。

■ これから申し述べる事については、あくまで多くの質問という「需要」に(問題無い範囲で)お応えするもの。
■ 人の正教における救いには様々な動機やきっかけがあり、これから書きますこともあくまで一例。
■ 書いている内容はあくまで「公開で書ける範囲」にとどまっていること。
■ 貴方様には貴方様にとっての、正教への道・救いの道が神様から用意されていること。

以上4点、大前提として御理解頂きたいと思います。そして最後に、この書ける範囲での体験から一つだけ、一般論としても申し上げられることを述べて、結びにしたいと思います。

● 中学3年前後から予備校時代にかけて、無神論…というよりも、むしろ唯物論・決定論に陥る

「唯物論」と言っても色々定義があると思いますが(マルクス主義等における唯物論については浅学な私は全く存じません)、私がここで「唯物論」と言った場合、本当に徹底したものでした。

「ビッグ・バンに宇宙が始まった時、物質が生成した時に、全ての物質はビリヤードのボールがぶつかり合って運動するように全てその後の運動も決まっていた。そこには何の偶然性も無い。全ての物質は陽子・中性子・電子、ほか私が知らない粒子の集まりであって、これらは全て因果関係によって運動している。従って、私の意識も全て物質によって生じている幻である。」

これが私が陥った「唯物論」でした(これが哲学においてどのように分類され得るのかすら全く浅学で存じませんが)。数学は苦手な文系だったのに化学は比較的得意で好きだったのは、祖父が化学を専門にしていたこともありますが、「粒子」に興味があったこととも無関係ではありません。

中学3年生の時、「我思ふ、故に我在り」という言葉が気になり、デカルト『方法序説』を読んでみました。…全く、解決になりませんでした。「疑っている我の存在は疑い得ない!」という、前提としての「宣言」がそこでされていたわけですが、それ自体疑っている青い中学生には何の答えにもなりませんでした。

自分の意識や自分の肉体が粒子の集まり・結び付きの機構に過ぎないという思いに囚われた時、思考を休ませるのは大変でした。おかしなものです。思考自体が幻想かもしれないと思っているのに。

そうなるともう、神が居るのか居ないのかどころの話ではありません。いやそれどころか、仮に神が居たとしても、ビッグバン(が仮説だとしても、とにかく世界の始まりの何か)を神が起こした、しかし魂とかそんなものは一切無く、あるのは物質と「意識」という幻だけ、という考え方も可能なわけでして、つまりは「神が居る居ない」すら「どうでも良い」レベルの問題になるわけです。

様々な事情があり大きな組織としての教会には中学後半から行かなくなって久しく(少年時代まで色々あって、「二度と宗教には関わるまい」と思ってもいました)、予備校時代前半はこうした「唯物論」に完全に囚われてしまい、考えが起きるたびに無気力になり、その傾向は増すばかりでした。

● 予備校からニコライ堂の奉神礼へ

そんな折、駿台予備校からすぐ近くにあったニコライ堂に行くようになりました。高校3年生には上京した時の夏期講習中。予備校生になったら月に1回ほど。

模試が日曜日にある時などは日曜日の聖体礼儀にも少しだけお邪魔したことも1、2回ありましたが、月に1回ほどのペースで行くようになったのは、土曜日夜のお祈り(徹夜禱・晩禱)です。

その度に私は「ああ、自分には心があるんだ、自分は粒子の集積体などではない。自分は人間だ。」と「感じ」、ホっとして家に帰って居ました。

「二度と宗教にかかわりたくない」と思って居る私には、特にしつこく勧誘されないニコライ堂の雰囲気が居心地良かったという事もあります(あまり声をかけなさすぎるのもそれはそれで寂しいとお感じの人もいらっしゃって、今思えば難しいところです)。

正教の奉神礼で、私は「神は居る」ではなく、むしろ「お前は居る」と語りかけられているのを感じ続けていました。「ああ、私は『物質』ではなく『人』なんだ」と。

今から思えば、「人は神の像(イメージ)と肖(似姿)」として創られて居るのですから、「人」を正しく認めることが「神」を正しく認めることに繋がるわけで、奉神礼にはそうした精神性を活かすかたちが沢山込められているわけです。

● 西方教会ではなく正教へ

私には西方教会(プロテスタント、聖公会、ローマカトリック)の友人も親族も居ますし、殊更に批判したいとは思いませんしするべきでもありませんが、小さい頃から親しんでいた所謂「予定説」的なものの考え方・傾向は、私には全く救いにならなかった事は確かです。(由来や信じている人にとってはそういう意図は無いのですが)決定論に苦しんでいる私にとっては追い討ちにしかなりませんでした。

他方、ローマカトリックは教皇制などに元々疑問を感じていて、売店で十字架を買うといった際にはお世話になりましたが、「入る」選択肢にはなりませんでした。

予備校からニコライ堂に時々足を運ぶ中で、高橋保行神父の「ギリシャ正教」(講談社学術文庫)を読みましたら全く衝撃的でした。予定説の否定、自由意思の肯定、神の像と肖、共働。

今まで私が聞いた事も無いコペルニクス的転回をもたらすキリスト教の世界がそこに広がっていました。正教のベースで読む聖書は、これまで私が読んでいたのとは、その温かみと涼しさが全く違って感じられました。

それまで西方教会では復活の生命についてはあまり聞いて居なかったのに、正教においては毎週聖歌で歌われる根幹でした。もちろん、教会の教えが書かれた本を読めば、復活が一番大事なことは大概の西方教会にも共通しているのですが、少なくとも私の体験内では、言及される回数・度合いはけた違いでした。「言及」だけでなく、正教会にあるモノすべてが復活に繋がっています。

大学に合格し1年生。さらにニコライ堂に通い続けていました。時々とはいえさすがに2年弱も通って居れば知り合いもできて参ります。そして信者さんに誘われて埋葬式に参禱し、「…ここで自分の埋葬式を挙げて頂きたい」と思うようになり、伝道会に通い始めました。

大変仲良くなった信者さんや、素晴らしい神父様がたとの出会いがありました(あの頃の神父様がたの域に自分が達しているかを省みますと、胃痛が抑えられません)。

こうして大学2年生だった2001年10月14日、生神女庇護祭の日に、帰正(きせい…他教会から正教会に「帰る」こと。無神論に陥っていたとはいえ、洗礼は神の前に無効にはなりません。)しました。

なんとか今まで信仰生活を続けて、司祭職にまで叙聖されまして今日がありますのは、神様と神品教役者、先輩信者さん、友人達のお蔭です。徹底的な唯物論に苦しんでいた時には、今日のような生活があるとは全く思っても居ませんでした。

今の私にとって、復活の生命とは、死後や来世の保障にとどまるものではなく、「ある」こと自体の意味を変容させるものだということが、自然と腑に落ちて居ます。

● 書ける範囲の体験からお伝えできること二つ

以上書きました事は、最初に申しました通り良い事も悪い事も「書ける範囲」にとどまっています。繰り返しになりますが本当に一部でしかありませんし、また一般化すべきでもありません。貴方様には貴方様の救いへの道があります。

ただ今回、正教の奉神礼において、神は「我(神)ここにあり」だけではなく「爾(貴方、人)ここに生きる」というメッセージまで豊かに示される、ということを、私の体験を通してお伝えしたいと思います。

「自分の悩みはそんなに特殊ではないから、自分にとって正教会は無意味だ」とは思わないで下さい。神様はどんな人の悩みにも応えられます。あくまで今回書きましたのは一例です。「宗教」で一般にイメージされるようなケースが出発点ではない道も有り得るために敢えて記したものです。正教会における神による救いの可能性の広さを示す一例として御理解頂きたく存じます。

正教に御興味のある方は、しばらく教会に通って親しい御友人が出来てきたら、どのようにして教会に来たかのお話を聞いてみれば様々なお話がある筈です(ただし、最初から聞かれると、内面をお話するのに慣れていない方もいらっしゃるので、親しくなる前の話題としては避けられるのが宜しいでしょう)。

最後まで御精読いただき、ありがとうございました。主の平安のうちに。

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