ニコライ堂はロシア正教なんですよね?(よくある質問・誤解に答えます)
ハリストス復活!実に復活!
伝教者として(肩書当時。※参照)ニコライ堂で電話とっていたり拝観客の応対をしていますと、必ず週1回以上の割合で「お宅はロシア正教の教会なんですよね?」という問い合わせが来ます。
違います。
ウチは「正教会」の教会であって「ロシア正教会」ではありません。
「正教会」が教会名。
「ロシア正教会」というのはロシア連邦を主に管轄する教会組織の名称です。
ちなみにニコライ堂は、教会組織上は日本正教会に所属しており、その首座主教座大聖堂としての役割を担っています。
これは、「瑣末な事柄にこだわっている」のではありません。
そういう質問をして来る人は十中八九、「ロシア正教っていうのは、ロシアに独特な、フツーじゃないキリスト教だけど。それが日本にもあるんだね。」という風に誤解しています。
しかし、組織としてのロシア正教会のみが有する教義・教理・神学などありません。
グルジア正教会、ブルガリア正教会、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ギリシャ正教会など、多くの個別の組織が、同じ信仰・教義・教理をもって、同じ正教会の一員として、聖なる公なる使徒の教会を形成しています。
…お問い合わせに応対する際には丁寧に柔らかく申し上げますが、いつになったらこうした誤解が日本から無くなるのかと、正直言って暗澹たる想いが内面にはあるのも事実です。
カトリックは「イタリアの教会」とは思われない。
プロテスタントは「ドイツの宗教」とは思われない。
聖公会は「イギリスの宗教」とは思われない(※)。
…しかし正教会だけは「ロシアの宗教」、あるいは別のケースでは「ギリシャの宗教」と思われることが非常に多いのです。
※歴史好きな人は「聖公会」=「英国国教会」と思うかもしれませんが、しかし歴史に特に興味の無い一般人が「聖公会」と聞いて「ああ、イギリスの」 とは思わないでしょう。逆に、特に興味の無い一般人が「正教会」と聞けば「ああ、ロシアの」「ああ、ギリシャの」と思われるでしょう。
最終的には外部の方の印象にまで、私が立ち入ることは出来ません。
もちろん、きっかけとしては、「ギリシャ好き」「ロシア好き」から正教の門を叩かれることもアリですし、歓迎申し上げます。ようこそ正教会へ!
しかし内部の信仰者としての立場から申し上げれば、
正教は「聖なる公なる使徒の教会」
なのであって、特定の国や地域に限定されるものでは無いということは、前提として強調しておきたいと思います。
抽象的な話ばかりでは解り難いと思われますので、具体的な私のケースを挟みたいと思います。
私の聖名の「クリメント」は、アレクサンドリアの聖クリメント(クレメンス)や、オフリドの聖クリメントといった、東地中海や東欧で活躍された聖人から頂いたものではありません。
ロマのパパ・クリメント(ローマ教皇クレメンス1世)です。
私は東西教会分裂以前の聖人のお名前で、アメリカ人宣教師と、牧師である父から、プロテスタントで幼児洗礼を受けました(父の所属する教派では幼児洗礼自体珍しく、私の幼児洗礼についても色々そこそこ、教会内で議論があったと聞いています)。
正教に帰正する際には、聖名を変えるかどうかで悩みました。が、結局変えませんでした。実は帰正してから知ったのですが、聖クリメントはクリミア半 島に流刑になってそこで致命されておいでです。「西から東に流されて死ぬ」生涯を送られた聖人の名前が私に与えられたのも、きっとただの偶然では無く神の 御心 だったのでしょう。
4歳の時に「東地中海の方で土着化した独特のキリスト教があるから、勉強になるから連れて行く」と父に言われて見学に行ったニコライ堂の奉神礼の印象が幼心に強烈で、それ以来ずっと心に引っ掛かっていた、それが私の正教との出会いでした。
特に「ギリシャやロシアが好きだから」行った訳ではありませんし、両国含む東欧に特に関心・興味があった訳でもありません。むしろ(有体に言って)領土問題などから、ロシアに対しては総じて良いイメージはありませんでした。
ただ予備校時代、決定論・無神論に陥って苦しんでいた時に、「ロシアの教会」「ギリシャの教会」ではなく、あくまで「教会の一つ」として、駿台予備校の近くにあったニコライ堂に行き始めた、それがスタートでした。
今でこそロシアの修道院に行ったりもしていますが、それはあくまで「長い伝統のある教会・修道院に行きたい」という願望に由来するものであって、行先はロシアで無くとも良かったのです。本音を言えば、ユーロよりもルーブルの方が旅が安上がりに済む、それが一番の動機でした。
…今ではロシアと自分は切っても切り離せない関係になっていますが…まさかここまで、自分とロシアとの繋がりが深くなるとは全く思っておりませんでした。しかし私にとってはあくまで「正教→ロシア」の順番に繋がったのであって、「ロシア→正教」ではありません。
「『ロシア正教』じゃない、正教会はあくまで聖なる公なる使徒の教会である」に話を戻します。
なぜ聖なる公なる使徒の教会という前提を強く申し上げるかと言えば、それが教会の教えだから、というのが大前提ですが、他に主に二つ理由があります。
- ロシアの教会とだけ思って来ると、失望するリスクが高い。←正教徒だからといってロシアに造詣が深いとは限りませんし、親露的とすらも限りません。ドストエフスキーの理解に正教がカギになるなど、正教の理解が東欧の文化理解に資する面は大いにありますし、ロシア文化から正教信仰に入られた方も 大勢いらっしゃいますが、「文化」が「信仰のメイン」と思われる方には、ちょっと心配になります。
- 「どうせロシアだけの国家宗教でしょ?」とだけ思って、それだけで来ない人が居る。←勿体ない!
正教会は、あくまで救いのために神様が用意して下さったものです。
神の国はこの世のものではありません。
である以上、ギリシャのための教会でもなければロシアのための教会でもありません。
全ての地域のため、(貴方様含む)全ての人を招く正教会です。
ニコライ堂を含め、正教会に見学にいらっしゃる皆様には、「ロシアの宗教」「ギリシャの宗教」としてではなく、あくまでまずは素直に「教会」として、正教会に向き合って頂きたい。それが私の切なる願いです。
以下余談
よく「正教は土着化を目指す」という評を聞くのですが、ローマ・カトリック教会がラテン語を典礼に使っていた50年ほど前までなら兎も角、現代にあっては(数十年以上前までの歴史を語る場面以外では)あまり意味がある評とは思えません。
土着化を目指すと言うのなら、今の西方教会は相当土着化を目指し、各地の慣習を積極的に取り入れようとして居ます。
むしろ正教の方が、文化的多様性を無邪気に肯定するのではなく、「文化的な違いはこれまでと同様に尊重するが、聖なる公なる使徒の正教という視点もこれまで同様に尊重する」という、伝統的なバランスの着地点を、伝統的に苦慮して模索し続けているように私には思えます。
「呉服・着物を着た聖母子像の御絵」をカトリック系のお店でよく見かけますが、「呉服を着た生神女(しょうしんじょ)マリヤのイコン」は、多分日本正教会でも出て来ないと思われます。
※ 肩書当時。本文章は、前ブログを閉めた事に伴いネット上から除去した2012年4月25日 (水)に書いた文章を、一部修正の上で復活再掲したものです。
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