「同じ」なのか「違う」のか。異宗教間・東西教会間。(よくある質問・誤解に答えます)
以下4つのパターンの質問を実際に受けた場合に私がお答えするパターンについて、今日は書きたいと思います。
- キリスト教と仏教(ないし神道)って、拝んでいるものが神様か仏様の違いというだけで、両方とも同じ似たような宗教なんでしょ?
- 正教会とカトリック(ないしプロテスタント)って、両方とも同じキリスト教なんでしょう?
- キリスト教と仏教(ないし神道)って、全然違うんだよね?戒律がすごく厳しいのがキリスト教で、すごく緩いのが仏教だっけ?あれ?逆?
- 正教会とカトリック(ないしプロテスタント)って、全然違うんだよね?三位一体も信じてないんでしょ?カトリックが一番古くて、プロテスタントが新しくて、正教会ってなんか変わった教会なんだよね?
大体、1と2のパターンでは「いや、違いはありますよ。それはかくかくしかじか」と答えて、3と4のパターンでは「いや、そこまで違わない。同じ所もありますよ」と答えてます。
何か天邪鬼のようにも思えますが、そうではありません。大体、
- 思われている程には違わない
- 思われている程には同じでは無い
が当て嵌まるんです。要するに極端に違うと思われているか、極端に同じと思われているかの二パターンが多いのです。
上記の4つの質問パターンへのそれぞれの私のお答えを書いていきます。
質問1.キリスト教と仏教(ないし神道)って、拝んでいるものが神様か仏様の違いというだけで、両方とも同じ似たような宗教なんでしょ?
拝んでいるものが違うことは勿論ですが、生活にどのように信仰を活かすかといった場面や考え方においても、小さく無い違いがあります。
そもそも「拝んでいるものが違う」ことは「大した違いでは無い」という発想自体に何らかの価値観が投影されています。たとえば「愛している異性が誰なのか」は「大した違いでは無い」とは思われませんことを考えてみましょう。
「宗教においてはそうした『誰を拝むか』は大きな違いでは無い」という考え方も人によってあろうかとは思いますが、少なくともそう考えない人も居るということです。
質問2.正教会とカトリック(ないしプロテスタント)って、両方とも同じキリスト教なんでしょう?
確かに、正教、ローマカトリック、プロテスタント、いずれもキリスト教ではあります。正教会においてもローマカトリックの洗礼は有効としますし、プロテスタントの洗礼も一定の条件と手続きを満たせば有効とします。同じくキリスト教だからこそ、そうした事が可能です。
しかし小さく無い違いがあることも事実です。
聖伝の位置付け、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活に際しての地獄降りの見方の違い、原罪観の違い、ローマ教皇の地位・権限をめぐる見解の違い、など色々挙げられます。
直接的な違いとして挙げる事が出来る教会生活での例としては、痛悔(つうかい、正教会以外では懺悔等とも)における神父の応えです。正教会においては「償い」は求められませんが、ローマカトリックでは「償い」が言われます。その背景にある違いは決して「小さな違い」ではありませんし、教会生活の日常にはっきりと表れる違いでもあります。
質問3.キリスト教と仏教(ないし神道)って、全然違うんだよね?戒律がすごく厳しいのがキリスト教で、すごく緩いのが仏教だっけ?あれ?逆?
「戒律」というのがどのようなものを想定して仰っているのかよく分りませんが、おそらくそのような御質問をされるように思われているほど大きな違いはありません。
特殊なカルトでもなければ、一定程度嗜好品やお酒といったものについて節制をし、拝金主義や即物的な生き方に陥らないようにして、出来る限り善い生き方をする、献金・お布施は生活が破綻しない程度に、しかし信仰心から納める。表面的に表れるこれらの要素については、そう大差ありません。また、「殺すなかれ淫するなかれ」は、キリスト教でも仏教でも共通する倫理でしょう。基本的な倫理面では共通するところは多々あります。
「教え」については小さく無い違いはあるものの、それは「戒律の厳しさ」と単純に言えるように表れるものではない、と言えます。
キリスト教の中ではお酒を一切禁じる教会もありますが、そうでない教会もあります(正教会は飲み過ぎは勿論戒められますが、お酒自体は禁じられていません)。この辺りは仏教でもお寺・宗派ごとの違いや個人差があると思われますが、それと同じです。
なお、「お酒を禁じる教会が戒律が厳しく、禁じない教会は緩い」かというと、それも一概には言えません。
お酒を禁じて居ない正教会は、ハリストス(キリスト)の体と血になったパンとブドウ酒を頂く礼拝(聖体礼儀)の前晩(深夜0時が目安)から、断食をする習慣を今でも守って居ます。
他方、お酒を禁じるか基本的に飲まないようにするプロテスタントの多くの教会は、こうした断食の習慣を残して居ません。
さあ、どちらが「厳しい」と言えるかは微妙なところです。しかも注意しておきたいのですが、信者の大半は、この程度の節制を「厳しい」とは思って居ないことがほとんどです。習慣として定着して居ますから。
大雑把にまとめますと、身体を痛めつけるような苦行が問題になるようなカルトは別として、大体の伝統的教会は、一概に「どちらが厳しい、どちらが緩い」とは言えないという事です。
質問4.正教会とカトリック(ないしプロテスタント)って、全然違うんだよね?三位一体も信じてないんでしょ?カトリックが一番古くて、プロテスタントが新しくて、正教会ってなんか変わった教会なんだよね?
三位一体は正教会も信じて居ますし、イイスス・ハリストスが真の神であり真の人でいらしたことについて正教会も信じて居ます。
少なくとも正教会は、自らの教会が最も古く伝統的でかつ正統的と考えています。西方教会(カトリックやプロテスタント)が正教会から分かれて行ったと考えます。
これについては、それぞれの教会の主張があります。私も、「客観的に正教会の主張が正しい」と強弁するつもりはありませんしそうするべきでもありません。ただ、あくまで正教の信仰に入れば、必然的にそのような見方になりますし、「客観的に証明」は難しいとしても、そう信じられるだけの根拠は存在しています。
他方、こうして正教会は自らの正統性を自覚しているわけですが、正教会と西方教会が、「全く別物」(どちらかがキリスト教で、どちらかはキリスト教では無い、とか)かというと、それもまた言い過ぎです。
西方教会において父と子と聖神(せいしん、聖霊)の御名によって授けられた洗礼は、正教会においても一定の条件を満たせば有効とされるわけです。正教と西方教会は「全く別物」であれば、正教において西方教会の洗礼が有効になど成り得ません。
ただし、正教会における領聖(りょうせい、ハリストス:キリストの尊体尊血となったパンとブドウ酒を頂くこと)は、正教信者のみが可能であり、西方教会(ローマカトリック、プロテスタント)の信者には許されて居ません。それはやはり他の教会とは違うという事の表れでもあります。違いはやはりありますね。
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以上のように、
- 思われている程には違わない
- 思われている程には同じでは無い
大体こういう方向で、それぞれの極端な見解を和らげる方向に御答えするようにしています。
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