教会でのお葬式の作法についての相談から
ハリストス復活!実に復活!
ツイッターなどで私が発言している内容(特に「ふしぎなキリスト教」等を批判する際の発言)を見ると、「正確さばかり主張する堅物」とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
しかし私も、普段からいつでも誰にでも「正確さ」ばかり言っているのではありません。
○ 大切なのは表面的な「作法」ではなく「真心」「配慮」です
つい先日、友人からプロテスタントの教会のお葬式での作法について質問されたのですが(※1)、
「プロテスタントでの作法は全く知らない、というか全く覚えて居ないけれど(※2)、『御仏前』と書かれた袋を使ってしまうとか、常識的に考えて『これは無いだろう』と思うようなことでもしない限り、不愉快に思われる事は無いと思う。永眠者のために祈る気持ちがちゃんとあれば、それは神様にも御遺族にも伝わるよ。」
と答えました。
プロテスタントの事はその該当教会に聞かないと「正確な事」は分りません。質問してきた友人も「クリメントの信じている正教と、プロテスタントが違うのは重々承知だけれど、自分は教会の事は全く知らないし、他にクリスチャンの知り合いが居ないし…」と言って居て、その事は知って居ました。
ただ、明日教会でのお葬式に行く、という友人に、「正確な作法の知識」は必要ありません。永眠された方の為に祈るという真心が、神様にも御遺族にもまずはよろこばれることです。
もちろん、最低限のマナーというものはあります。例えば
- 「仏」(ほとけ)といった言葉を弔電や香典袋に使わない
- (どのような不慮の死であっても)「神も仏も無い」と食事の席などで口走らない
- 迂闊に祭壇のある区域に立ち入らない
…など。
しかしこれらは、ハリステアニン(クリスチャン)でなくとも、少し配慮すればお解り頂けることでしょう。
表面的な作法より大事なのは、相手(および相手が信じている内容)に対する慮りです。その姿勢は相手にきっと伝わります。
○ 研究者やマスメディア関係者さんには「正確さ」が必要
他方、研究者やマスメディア関係者さんには、問い合わせを受けた際にはかなり「正確な内容」を期して私もお答えしますし、「気を付けて書いて欲しい点」についても予め注文させて頂きます。
それは「一般人」と、「研究者」「マスメディア」では、内容が正確さについて負っている責任や期待の度合いが桁違いだからです。活字文化の衰退が言われますが、「本にそう書いてあった」「新聞にそう書いてあった」がまだまだ通用する世の中なのですから。また、非専門家から見れば「枝葉末節」と思われる事であっても、専門的見地からは「枝葉末節」では無い話もあります。
「冠婚葬祭Q&A」といったようなホームページ、本を書かれる方には、丁寧な調査を心掛けて頂きたいですし、その際には「カトリックとプロテスタント」だけでなく、「正教」も、当方にお問い合わせの上で書いて頂きたいものです。
○ 心からの配慮がどちらにも必要です
しかし一般の方でも研究者・記者でも、必要なのは「心からの配慮」という事は共通しています。「心からの配慮」があれば、一般の方は教会でのお葬式で「御仏前」と書いた香典は出しませんし、研究者は安易に「『枝葉末節』はどうでもいい、『分りやすい』本を書いて売れればいい」とは考えない筈です。
大変残念な事ですが、私も間違いますし、時には大きな失敗もします。ですから私が時に厳しく研究者等を批判するのは、誰にでもある間違いや失敗それ自体ではありません。
研究者や記者の姿勢に微塵も「配慮」「責任感」が感じられない時、厳しく批判をしています。
これは他人についてだけの話ではありません。私が「もっと配慮し気を付けるべきだった」時、それは本当に私にとっての罪です。自戒するところでもあります。
※1…この話を本ブログに書くのにあたっては、その友人から許諾を貰いました。
※2…私はプロテスタント出身ではありますが、冠婚葬祭に係わるような年代に達する前にプロテスタントを離れてしまっており、プロテスタントの冠婚葬祭について全く存じません。
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