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2013年7月

2013年7月30日 (火)

正教信者になった動機の一部(唯物論から正教へ)について:救いの可能性は無限です

「なぜ正教会に入ったのですか?」「なぜプロテスタントから正教に移ったのですか?」とよく聞かれます。

きっかけなら様々なものがあります。牧師である父に「勉強になるから連れて行く」と言われて4歳の時にニコライ堂を訪れた時の体験の強烈さ。ラフマニノフの「徹夜禱(晩禱)」を聞いて魅了されたこと。など。

しかし中心の動機については、あまり語って参りませんでした。そもそも正教において「『証』を(不特定多数を相手に)語る」という習慣そのものが希薄です。理由は幾つか説明できます。

あまり個人的な体験・経緯を不特定多数に対して話すと、信仰の特殊性を強調し、他の方にとっての「敷居」を上げてしまいかねない
(これから述べる)メインの理由だけ読むと、非常に哲学好きで理屈ぽく複雑な人格のように思われるかもしれないが、実は喜怒哀楽といった面では非常に単純な性格で、20代までは部活もプレステもお酒も恋愛もバイトもする、所謂「フツー」の若者の顔もあったのに、キャラクターについて一面的に理解されるのは、公私ともにプラスにはならない
当然ながら「語れる範囲」と「語れない範囲」がある。無意識の部分もある。「公開で語れる範囲」だけが真実では無い(周囲への配慮もあれば見栄もある)
誰がどのように救われたかは、聖人の生涯の方が遥かに参考になる。実際、私の人生はまだ道の途上であり、「ゴール」まで語られている聖人伝に勝るものはない

などです。

■ これから申し述べる事については、あくまで多くの質問という「需要」に(問題無い範囲で)お応えするもの。
■ 人の正教における救いには様々な動機やきっかけがあり、これから書きますこともあくまで一例。
■ 書いている内容はあくまで「公開で書ける範囲」にとどまっていること。
■ 貴方様には貴方様にとっての、正教への道・救いの道が神様から用意されていること。

以上4点、大前提として御理解頂きたいと思います。そして最後に、この書ける範囲での体験から一つだけ、一般論としても申し上げられることを述べて、結びにしたいと思います。

● 中学3年前後から予備校時代にかけて、無神論…というよりも、むしろ唯物論・決定論に陥る

「唯物論」と言っても色々定義があると思いますが(マルクス主義等における唯物論については浅学な私は全く存じません)、私がここで「唯物論」と言った場合、本当に徹底したものでした。

「ビッグ・バンに宇宙が始まった時、物質が生成した時に、全ての物質はビリヤードのボールがぶつかり合って運動するように全てその後の運動も決まっていた。そこには何の偶然性も無い。全ての物質は陽子・中性子・電子、ほか私が知らない粒子の集まりであって、これらは全て因果関係によって運動している。従って、私の意識も全て物質によって生じている幻である。」

これが私が陥った「唯物論」でした(これが哲学においてどのように分類され得るのかすら全く浅学で存じませんが)。数学は苦手な文系だったのに化学は比較的得意で好きだったのは、祖父が化学を専門にしていたこともありますが、「粒子」に興味があったこととも無関係ではありません。

中学3年生の時、「我思ふ、故に我在り」という言葉が気になり、デカルト『方法序説』を読んでみました。…全く、解決になりませんでした。「疑っている我の存在は疑い得ない!」という、前提としての「宣言」がそこでされていたわけですが、それ自体疑っている青い中学生には何の答えにもなりませんでした。

自分の意識や自分の肉体が粒子の集まり・結び付きの機構に過ぎないという思いに囚われた時、思考を休ませるのは大変でした。おかしなものです。思考自体が幻想かもしれないと思っているのに。

そうなるともう、神が居るのか居ないのかどころの話ではありません。いやそれどころか、仮に神が居たとしても、ビッグバン(が仮説だとしても、とにかく世界の始まりの何か)を神が起こした、しかし魂とかそんなものは一切無く、あるのは物質と「意識」という幻だけ、という考え方も可能なわけでして、つまりは「神が居る居ない」すら「どうでも良い」レベルの問題になるわけです。

様々な事情があり大きな組織としての教会には中学後半から行かなくなって久しく(少年時代まで色々あって、「二度と宗教には関わるまい」と思ってもいました)、予備校時代前半はこうした「唯物論」に完全に囚われてしまい、考えが起きるたびに無気力になり、その傾向は増すばかりでした。

● 予備校からニコライ堂の奉神礼へ

そんな折、駿台予備校からすぐ近くにあったニコライ堂に行くようになりました。高校3年生には上京した時の夏期講習中。予備校生になったら月に1回ほど。

模試が日曜日にある時などは日曜日の聖体礼儀にも少しだけお邪魔したことも1、2回ありましたが、月に1回ほどのペースで行くようになったのは、土曜日夜のお祈り(徹夜禱・晩禱)です。

その度に私は「ああ、自分には心があるんだ、自分は粒子の集積体などではない。自分は人間だ。」と「感じ」、ホっとして家に帰って居ました。

「二度と宗教にかかわりたくない」と思って居る私には、特にしつこく勧誘されないニコライ堂の雰囲気が居心地良かったという事もあります(あまり声をかけなさすぎるのもそれはそれで寂しいとお感じの人もいらっしゃって、今思えば難しいところです)。

正教の奉神礼で、私は「神は居る」ではなく、むしろ「お前は居る」と語りかけられているのを感じ続けていました。「ああ、私は『物質』ではなく『人』なんだ」と。

今から思えば、「人は神の像(イメージ)と肖(似姿)」として創られて居るのですから、「人」を正しく認めることが「神」を正しく認めることに繋がるわけで、奉神礼にはそうした精神性を活かすかたちが沢山込められているわけです。

● 西方教会ではなく正教へ

私には西方教会(プロテスタント、聖公会、ローマカトリック)の友人も親族も居ますし、殊更に批判したいとは思いませんしするべきでもありませんが、小さい頃から親しんでいた所謂「予定説」的なものの考え方・傾向は、私には全く救いにならなかった事は確かです。(由来や信じている人にとってはそういう意図は無いのですが)決定論に苦しんでいる私にとっては追い討ちにしかなりませんでした。

他方、ローマカトリックは教皇制などに元々疑問を感じていて、売店で十字架を買うといった際にはお世話になりましたが、「入る」選択肢にはなりませんでした。

予備校からニコライ堂に時々足を運ぶ中で、高橋保行神父の「ギリシャ正教」(講談社学術文庫)を読みましたら全く衝撃的でした。予定説の否定、自由意思の肯定、神の像と肖、共働。

今まで私が聞いた事も無いコペルニクス的転回をもたらすキリスト教の世界がそこに広がっていました。正教のベースで読む聖書は、これまで私が読んでいたのとは、その温かみと涼しさが全く違って感じられました。

それまで西方教会では復活の生命についてはあまり聞いて居なかったのに、正教においては毎週聖歌で歌われる根幹でした。もちろん、教会の教えが書かれた本を読めば、復活が一番大事なことは大概の西方教会にも共通しているのですが、少なくとも私の体験内では、言及される回数・度合いはけた違いでした。「言及」だけでなく、正教会にあるモノすべてが復活に繋がっています。

大学に合格し1年生。さらにニコライ堂に通い続けていました。時々とはいえさすがに2年弱も通って居れば知り合いもできて参ります。そして信者さんに誘われて埋葬式に参禱し、「…ここで自分の埋葬式を挙げて頂きたい」と思うようになり、伝道会に通い始めました。

大変仲良くなった信者さんや、素晴らしい神父様がたとの出会いがありました(あの頃の神父様がたの域に自分が達しているかを省みますと、胃痛が抑えられません)。

こうして大学2年生だった2001年10月14日、生神女庇護祭の日に、帰正(きせい…他教会から正教会に「帰る」こと。無神論に陥っていたとはいえ、洗礼は神の前に無効にはなりません。)しました。

なんとか今まで信仰生活を続けて、司祭職にまで叙聖されまして今日がありますのは、神様と神品教役者、先輩信者さん、友人達のお蔭です。徹底的な唯物論に苦しんでいた時には、今日のような生活があるとは全く思っても居ませんでした。

今の私にとって、復活の生命とは、死後や来世の保障にとどまるものではなく、「ある」こと自体の意味を変容させるものだということが、自然と腑に落ちて居ます。

● 書ける範囲の体験からお伝えできること二つ

以上書きました事は、最初に申しました通り良い事も悪い事も「書ける範囲」にとどまっています。繰り返しになりますが本当に一部でしかありませんし、また一般化すべきでもありません。貴方様には貴方様の救いへの道があります。

ただ今回、正教の奉神礼において、神は「我(神)ここにあり」だけではなく「爾(貴方、人)ここに生きる」というメッセージまで豊かに示される、ということを、私の体験を通してお伝えしたいと思います。

「自分の悩みはそんなに特殊ではないから、自分にとって正教会は無意味だ」とは思わないで下さい。神様はどんな人の悩みにも応えられます。あくまで今回書きましたのは一例です。「宗教」で一般にイメージされるようなケースが出発点ではない道も有り得るために敢えて記したものです。正教会における神による救いの可能性の広さを示す一例として御理解頂きたく存じます。

正教に御興味のある方は、しばらく教会に通って親しい御友人が出来てきたら、どのようにして教会に来たかのお話を聞いてみれば様々なお話がある筈です(ただし、最初から聞かれると、内面をお話するのに慣れていない方もいらっしゃるので、親しくなる前の話題としては避けられるのが宜しいでしょう)。

最後まで御精読いただき、ありがとうございました。主の平安のうちに。

2013年7月25日 (木)

イコンの美と場、茶器の美と場、亭主の招き

国立西洋博物館に、(西方教会のものではありますが、正教会と共通する)古いスタイルで書かれた(画かれた)イコンが常設コーナーにあります。現代「イコン」と言えば大概、狭義には正教会でのものを指しますが、西方教会にも古い様式のイコンは無いわけではありません(現代の西方教会では殆ど使われませんが)。

松方コレクションをベースにした国立西洋博物館の常設展は、イタリア・ルネッサンス以降の絵画がその後、続いていくのですが、正直、美術館に展示されている古い様式のイコンというのはそのまま「古臭い」と感じられ、貧弱に感じられます(私の審美眼の問題かもしれませんが)。

この印象は国立西洋美術館でのみならず、トレチャコフ美術館でも感じたことです。


イワン・クラムスコイの絵画に『曠野(あれの)のイイスス・ハリストス』があります。リンク先のウィキメディアの画像ではピンと来にくいのですが、トレチャコフ美術館内にあるクラムスコイ・コーナーの壁一面を占拠する、巨大な絵画です。

この絵を見たいとかねてより思っていたのですが、トレチャコフ美術館を訪れた際、美術史に無知な私は巨大だと言う事を全く知らずに対面したため、驚きと感動で呆然としてしまい、20分間はこの絵の前の椅子に圧倒されて座っていました。

イワン・クラムスコイの絵画『曠野のイイスス・ハリストス』は、教会で使われるイコンではありませんが、全く正教のイコンの伝統と無縁というわけではなく、たとえば衣服の青色と赤色は、それぞれハリストスの神性と人性とを示す色としてイコンに伝統的に使われるものであり、イイスス・ハリストスが神人(богочеловек:ボゴチェロヴェーク)であることを示して居ます。


さて、トレチャコフ美術館には世俗絵画とは別に、イコンも収蔵されています。その中で代表的な傑作の一つがアンドレイ・ルブリョフによる『至聖三者』です。このイコンは、元はセルギエフ・ポサードの至聖三者聖セルギイ大修道院にあったものですが、現在は同修道院のイコノスタスには複製品が嵌め込まれており、オリジナルはトレチャコフ美術館に収められています。

言うまでも無く、素晴らしい傑作イコンです。しかし、クラムスコイの絵画のような凄みは、ガラスケースの中からは発せられていません。

正教のイコンにかかる基本的な理解(イコンはこの世の美に止まるものではなく、本来創られた神の像(イコン)としての人間性を示すもの)からすれば、ルブリョフのイコンの方が神の像をより良く書いた素晴らしいものの筈なのです。しかしこうした美術館におけるギャップは、何故出て来るのでしょうか。


美学の権威である今道友信が、著書『美について』(講談社現代新書)の中でこう述べて居ます。

「ギリシアの女神の彫像は、拝礼の対象として、場合によっては柱列の奥に多くの手下の像とともに捧げ物の山の向こう側に立っていたり、あるいは青空の下に立ちつくして、日の光を浴びていたはずである。それが今は同類の多くの神々の像とともにルーブルの博物館に立ち並んでいる。異国の室の中に囚われ、当然その女神の随員としていなければならない多くの動物や讃仰者の影もない。」(p200)

「われわれは与えられた作品との美的経験において、想像力を理性的に働かせて、その作品が、元来置かれていた場所では、いかなる背景を持ち、いかなる条件に基いて輝き出ていたのか、ということを補い考えてみなければならない。この配慮は、言わば、作品に対する愛情なのである。作品はしばしばこの愛に応えてそこに自己を開示する。」(p201 - p202)


つまり答えは簡単です。イコンは美術館に置かれる美術品としては作られていないのです


上野の国立博物館で展示されている屏風、漆器、茶器がガラスケースの中で貧弱に見えるのも同じ理由です。屏風は畳の部屋の中で仕切りに使われ、襖との組み合わせや和服で過ごす人々の立ち居振る舞いと併せて映えるものです。茶器は、畳の色合いをバックに、茶室(明暗や広さ)・茶釜・掛け軸・茶(温度・濃さ等)・香炉の香り・亭主と客との会話・庭から聞こえて来る鳥の鳴き声や水音など、五官に感じさせる総合的な組み合わせの中で役割を果たして輝くものです。

ガラスケースの中に収められて輝くようには作られていません。イコンも同様です。


イコンも、聖堂(明暗や広さ)・蝋燭の光・祭具・祭服・振り香炉の香り・詠みあげられる祈祷文・聖歌・接吻の感触など、五官に感じさせる総合的な組み合わせの中で役割を果たして輝くものなのです。そのように書かれて(画かれて)いるものなのです。家庭内に置かれるイコンにも、祈りの際には、その前に蝋燭を灯し、可能であれば香を焚きます。

なぜなら、神は視覚や頭脳だけを人間に与えられたのではないからです。正教の奉神礼(礼拝)が五官をフル動員させる総合的なものである所以です。

ですからルブリョフの大傑作も、トレチャコフ美術館のガラスケースで見劣りするのは当然なのです。そのように書かれては(画かれては)居ないのですから。そう考えて、ルブリョフによるイコンを、修道院にある暗い至聖三者大聖堂(窓が小さく、本当に暗い聖堂です)にある姿で、祈りの対象として想像してみてみますと、そこで初めて凄みが出て来るのです。

トレチャコフ美術館もさるもので、別の収蔵品である傑作イコン『ウラジーミルの生神女』は、トレチャコフ美術館内に建設された聖堂内に現在、収蔵されています。おそらくは美術館も、「イコンは聖堂内にあってこそ輝く」ことを知っていてこのような対処をしているものと思われます(こうした「美の回復」も、宗教弾圧が吹き荒れたソビエト連邦時代には考えられないことでした。ソビエト連邦は確かに終わったのです)。


皆様が美術館でのイコンの展覧会に足を運ばれる際には、是非とも、「祈りに使われる光景・音・香り」を念頭において、想像力を働かせて御覧頂きたいのです。そうでないと、幾ら専門書の注釈を見ても、理解は(信仰を無関係にしても)半分どころか1割にも届きません。

茶室でどのような茶会が行われているか、絵や映像の一つも見た事が無い外国人が、茶器や茶室を個別に単体で見たとしても、「半分はその良さが分かった」とも言えないであろうことは想像がつくでしょう。それと同じことです。

神の家であるニコライ堂をはじめとする正教会の聖堂に拝観にいらっしゃる皆様には、「博物館に行く」「遺跡に行く」「音楽ホールに行く」「キレーなものを見に行こう♪」といった気持より、「初めて会う方(神様)のお宅にある茶室(聖堂)に行く」という気持ちに近いものを持っていて頂いた方が、体験に深みが増すと思われます。


また、茶器も掛け軸も、「美」の追求単体を至上命題としては居ないのと同様、イコンも「美」の追求単体を至上命題としてはいません。イコンはあくまで祈りの生活を助けるものなのです。正教会の伝教者である私としては、究極的には聖堂にいらした皆様に、福音を伝え、永遠の生命に与り続ける生活に入って頂く事を願うものです。

茶室との大きな違いがあります。神の家の亭主は神です(まさしく聖歌に歌われる通り「主は神なり」です)。慣れない茶室に行く時と同様、聖堂に初めて行くのは緊張して当然なのです。「礼」をしてお入り下さいませ。教会にてお待ちしております。


※ 余談ですが、国立博物館には是非とも、一つで良いから、茶室を博物館内に造って頂き、そこに少しで良いから茶器と掛け軸を展示するようにして頂きたい。収蔵品の価値がより良く伝わるでしょう。季節によって組み合わせを変えれば、常設展に赴く楽しみも増えるというものです。亭主としての博物館に客としてぜひお願いしたい。

※ 本ブログは、2012年5月3日(木)に作成し、前ブログの消去に伴って消滅したものの内容を復活させたものです。私の肩書「伝教者」も当時のままにしてあります。

2013年7月 6日 (土)

正教会関係の術語につき、よくある間違い解説

色々と質問を受ける機会があったり、マスコミにおける間違いを見たりしますので、以下、正教会関係の話題が出て来る時に、間違われやすい術語を解説します。特に新聞、テレビなどのマスコミ関係者様向けですが、論文や本を書く方々にも読んで頂ければと思います。

日本では本当に少数派の教会ですから、用語や表記はまだまだ知られていません。他にも分らない用語・表記が御有りでお困りの方は、ocj.tokyo@gmail.com (ニコライ堂のメールアドレス)など、各地の教会にお問い合わせ下さい。

なお、以下の用語については日本正教会の公式サイトでも調べられるものです。

1. ×「ミサ」 ○「聖体礼儀」(せいたいれいぎ)

正教会でイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の尊体尊血(そんたいそんけつ)となったパンと葡萄酒を頂く奉神礼(礼拝)は、正教会では聖体礼儀と言います。「ミサ」とは言いません。

英語でもほとんどの場合で、別の単語が使われています。

  • 聖体礼儀 … ギリシャ語:Θεία Λειτουργία, ロシア語:Божественная Литургия, 英語:Divine Liturgy
  • ミサ … ラテン語:missa, 英語:mass 

「ミサ」はローマ・カトリック教会でしか使われない、ラテン語に由来する用語であり、聖公会ではまず使われず、プロテスタントでは全く使われない用語・表記です(マスコミによる表記で、正教会に対する聖体礼儀のみならず、聖公会の聖餐式やプロテスタントの礼拝にも「ミサ」が適用されていて驚くことがあります)。

漢字で「聖体礼儀」と書いた方が、どんな祈祷内容か「わかりやすい」「よく意味を知らないカタカナ表記は避けるべき」これは、どんな分野にも言えることでしょう。

また、正教会にとって一番大事な奉神礼(礼拝)である聖体礼儀を、ローマカトリックの用語(「ミサ」)で書き表されているのを目にした時には、日通の社員がペリカン便(自社の主力商品の一つ)を「宅急便」(他社の商標)と呼ばれた時に感じるであろう感覚と似たものであろう感覚を覚えることを付言します。

一番大事な用語を、別のもので置き換えられてしまっている、そういう状況が愉快なものではないことは、上記に挙げたような企業の商標の場面を考えれば、宗教に関心の無い方でもお分かり頂けると思います。

2. ×「ロシア正教に改宗」 ×「ロシア正教徒」 / ○「正教に改宗」 〇「正教徒」Orthodoxchurches_2

著名な日本人正教徒の記事などでよく目にする(耳にする)間違いです。

「ロシア正教会」「ロシア正教」というのは、主にロシア連邦にある諸教区を管轄する一地方教会名(組織名)です。一組織に改宗など出来ません。あくまで信徒は「正教を信仰している」のであって「ロシア正教を信仰している」のではないのです。

「ロシア正教に改宗」と言いますと、洗礼や帰正(きせい…他教会から正教に改宗すること)の有効性がロシア正教会に限定されてしまうような誤ったイメージすら生みかねません。もちろん事実はそんなことはなく、ギリシャ正教会、グルジア正教会、ブルガリア正教会、ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、日本正教会の、どこで洗礼や帰正を経ても、いずれも同じく正教徒です

おそらく「ロシア正教に改宗」と書いている人は「『正教に改宗』だと、ロシアとの繋がりが分かりにくいからねえ」といった理由で(善意から)書いておいでと思われますが、残念ながらより分かりにくくなっています

特に、洗礼を受けた場所も現在の所属も日本正教会の信徒につき、「ロシア正教に改宗」「ロシア正教の信徒」「ロシア正教徒」などと書いているケースが少なくありません。鹿島田真希さんの芥川賞受賞記事でも「ロシア正教に改宗」などと書いている記事が少なくありませんでした。

ドストエフスキーと鹿島田さんの関係から、「ロシア正教」が分かりやすい、と記者は思ったのかもしれませんが、そのドストエフスキーからして「ロシア正教を信仰していた」のではなく「正教を信仰していた」のです。ロシア正教会に所属していたドストエフスキーですらも「ロシア正教徒」ではなく「正教徒」です。まして日本正教会に所属している鹿島田さんに「ロシア正教徒」というのはさらに不適切、単に「正教徒」で良いのです。

「瑣末な誤り」「わかりやすさのためには仕方ない」ものではありません。本人のアイデンティティや所属(「ロシア正教の信徒」とは日本人信徒のみならずロシア人信徒も思いません)、および正教会の組織構成などにつき、かえって分かりにくくしています。

なお、この間違いでは「ニコライ堂はロシア正教会の教会です」などの誤りも同系統になります。詳細は当方のブログ2013年6月13日付のブログ「ニコライ堂はロシア正教なんですよね?(よくある質問・誤解に答えます)」をご覧下さい。

3. ×「司教」 ○「主教」

正教会で最も大事な職分の名です。企業間のやり取りでも、代表取締役の肩書を間違えたら大変失礼にあたるでしょう。どうか丁寧に扱って下さい。何とぞよろしくお願い申し上げます。

  • 総主教 … ギリシャ語:Πατριάρχης, ロシア語:Патриарх, 英語:Patriarch 
  • 府主教 … ギリシャ語:Μητροπολίτης, ロシア語:Митрополит, 英語:metropolitan (Metropolitan bishop) 
  • 大主教 … ギリシャ語:Αρχιεπίσκοπος, ロシア語:Архиепископ, 英語:Archbishop 
  • 主教 … ギリシャ語:Επίσκοπος, ロシア語:Епископ, 英語:bishop

※ スラヴ系伝統にある正教会では府主教が大主教の上位。ギリシャ系伝統にある正教会では大主教が府主教の上位となり、上図とは順序が入れ替わります。

4. ×「イースター」 ○「パスハ」「復活大祭」「復活祭」

特にこれから申し述べます説明を覚えて頂かなくとも、取り敢えず「イースター」という用語だけ避けて頂きたく思います。

以下、説明しますと、「イースター」というのは異教の神の名に由来するとされる通称です。正教会ではこれを避けて、新約の「過ぎ越し」を意味する「パスハ」という呼び方や、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の復活を記憶するという内容から、そのまま「復活祭」「復活大祭」と呼ぶようにしています(外部向けに「分りやすく」するために「イースター」と書いている媒体もかつてはありましたが、今では外部向け媒体でもあまり書かれません)。これもまた「片仮名よりも漢字で書いた方が意味が解る」一例ですね。

※ 本ブログは、2012年7月30日に書き、2013年1月16日に修正したものが、前ブログの消去に伴って消滅したものの内容を、内容を一部圧縮・一部加筆修正した上で復活させたものです。

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