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2013年8月

2013年8月 6日 (火)

亜使徒:聖ニコライは何を伝え、何をなさったのか

最近、本年(2012年 ※1)は聖ニコライ永眠100周年ということで、様々な媒体で亜使徒聖ニコライのことが各種書籍・メディアで取り上げられることが多くなっております。

取り上げられること自体は、一般論として大変喜ばしいことです。しかし「聖ニコライは何を日本に伝えたかったのか」ということが完全に無視されていることが少なくないことには、残念に思います。

よく目にする、残念な記述のパターンは以下の通りです。

1.ニコライ大主教はロシア正教を日本に伝えました
2.ニコライ大主教の功績は、ニコライ堂を建てたことです
3.ニコライ大主教はロシアと日本の架け橋になりました

一般の方がお間違えになるのは知名度の低さ(私どもの努力不足でもあります、申し訳ありません)もありますので仕方ありませんが、研究者、記者、作家の皆様には、どうかお間違えになりませんよう、お願いしたいところです。


【「1.ニコライ大主教はロシア正教を日本に伝えました」について】

まず、聖ニコライが伝えたのは「正教」であって「ロシア正教」ではありません。

そもそも「ロシア正教会」というのは組織名であって、「ロシア正教」という「教え」はありません。「無い教え」を「広める」ことは不可能です。しかもロシア正教会が独立正教会となったのは1448年。1448年まで「ロシア正教」という「教えが無かった」のでしょうか。もちろんそんな事はありません。

あくまで正教の「教え」は初代教会から今に至るまで一つです。後代に成立していった自立した教会組織であるギリシャ正教会もルーマニア正教会もグルジア正教会もロシア正教会も、同じ教えを信じており、もちろん日本正教会も例外ではありません。

聖ニコライは「正教を伝えた」「東方正教を伝えた」が正しい表現です。

20世紀セルビア正教会の克肖者聖イウスチンは、ドストエフスキーについて正教の観点から解説しています。正教のネットワークは、ロシアに限定されていないこと、多国間でのコミュニケーションは、外部で思われているよりも遥かに日常的頻繁に行われていることを、強調しておこうと思います。

正教は全世界に一つの交わりの中に広がっております。

聖ニコライは「我々はロシアの教会を広めているのではない、唯一の聖、公、使徒の正教会を伝えている」という意識を常に持ち、「ニコライはロシアの教会を広めている」という誤解、及び誤解に基づく非難・中傷・嘲笑に対し、誤解を解くよう常に努めておいででした。

これは別に私が司祭として「護教的」にそう言っているのではなく、聖ニコライの日記や各種記述などを分析し研究してきている、信徒ではない外部の研究者(中村健之介氏、長縄光男氏など)によって、客観的に明らかにされている歴史的事実です。

「ロシア正教と言っておいた方が解り易い」といった動機は、研究者の業績を無視し、かつ聖ニコライの時代に日本人が持っていた偏見と誤解の位置から一歩も進んでいないものです。

以前の日記でも書きましたが、鹿島田真希さんの芥川賞受賞の報道の数々に、「鹿島田さんはロシア正教徒で」といった表現が何度も出て来ました(正解は単に「正教徒」です)。

100年経っても聖ニコライが解こうとしていた誤解を繰り返すのは、果たして適切な態度と言えるのでしょうか。「聖ニコライについて記述する」「日本の正教会について記述する」のであれば、100年前の創立者が解きた いと切に願っていた誤解くらいは、解いて頂いても宜しいのではと思うのですが、いかがでしょうか。


【2.ニコライ大主教の功績は、ニコライ堂を建てたことです】

言うまでもなく、ニコライ堂を建てられたことは聖ニコライの偉業の一つです。

しかし「建物を建てる」ことが正教における救いの中心ではありません。何よりも「正教の生活を人々に伝え、(建物ではなく、救いの奥義としての)教会を遺された」ことが中心的功績であり、祈祷書や聖書を翻訳されたことも合わせて言及されるべき偉業です。

ふつう、他派の宣教師について言及される際、「建物を建てたことが第一の功績」のように紹介されることはありません。もちろん日本正教会内でも「建物を建てたのが第一の功績」などとは言われません。

ところが、なぜか、正教の、聖ニコライについてだけは、「建物」ばかり言及されるのです。実際に建物しか功績が無いのであれば致し方無いですが、事実は全く違います。特に正教会の祈祷書・聖書を翻訳された聖ニコライの日本語力は、文学史面でも特筆に値する筈なのですが、なぜか一般には殆ど言及されません。

聖ニコライは建築家でもなければ建築のパトロンでもありません。まず、聖ニコライは「正教を宣教された主教でいらした」ことをメインに念頭に置いておかれたいと願います。


【3.ニコライ大主教はロシアと日本の架け橋になりました】

これは、部分的には正解です。大津事件直後のニコライ皇太子訪問や、日露戦争中の捕虜慰問活動などは、確かに該当します。

しかし聖ニコライの生涯のうち大半は、「日本人に正教を広める」ことに割かれ、全国に正教を広めようと尽力されておいででした(ちなみに余談ですが、聖ニコライが広く日本の各地を廻られた際の日記は、外国人旅行者が明治時代の日本の観光地でもない農村漁村を見てつぶさに記録した一級史料としても価値のあるものです)。

生涯の大半の活動を無視して、一時期の活動だけをクローズアップするのは、バランスある態度とはふつう申せません。あくまで「架け橋」としての活動なされた、というように、表現に気を付けなければならないところです。


【まとめ】

まず、正教は「ロシアの宗教」でもなければ「建物の宗教」でもありません。仮にそうなら、ロシア革命で帝政ロシアが倒れて日本の正教会への援助が完全に途絶えた時、もしくは関東大震災でニコライ堂が崩れていた時に、日本正教会は完全に息の根を止められて居たでしょう。

そうならなかったというのは、神の計り知れない恩寵のもと、【正教】の信仰のもとに生き、靈(たましい)の救いを得続けた人々が日本に確かに居た、そして今も居ることの証です(※2)。


※1 本記事は、2012年9月6日(木)に作成し、前ブログの消去に伴って消滅したものの内容を、一部修正の上で復活させたものです。

※2 【まとめ】にあるような信仰の話を抜きにしても、日本正教会の聖堂を紹介するにあたって「ロシア正教の聖堂です」と呼ぶのは、ギリシャ正教会の教会を「ロシア正教の聖堂です」と呼ぶようなものです。つまり別の組織に所属するかのような誤解を与えかねない表現なのであり、全く「解り易く」なっていません。「解り易い表現」への誘惑には誤りへの落とし穴があるというのは、どんな分野でも同じです。

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