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2014年3月

2014年3月 8日 (土)

「キリスト教を理解して欧米を理解しよう」?

「ふしぎなキリスト教」を持ち上げた人達と、批判した私の間で、何が違うのかを色々考えて居ました。ツイッターでは「重く扱われたくない(軽く扱われたい)」願望の有無という要素を既に提示しましたが()、今回は別の要素を挙げたいと思います。

「ふしぎなキリスト教」を持ち上げている人達は、「欧米をよりよく理解するためには、キリスト教理解が必要だ」と考えて居るようです(「ふしぎなキリスト教」のメッセージでもありました)。

今回のテーマは二点です。

■ 本当に『欧米理解』に『キリスト教の理解』が必要なのか」

■ 「『理解』のためではない教会」


● 本当に「キリスト教を理解する」のが「欧米理解」に「必要」なのかどうかを点検すべきです

私は一応プロテスタントの牧師の息子として生まれました。聖書や神学の理解と言える程のものは残念ながら殆ど持ち合わせませんでしたが、祭壇傍の奉仕者までさせて頂き、中学時代には「司式」までしていましたから、非キリスト教徒の日本人よりはキリスト教が日常という環境下で育ったと言えるでしょう。

その私が、「欧米を一般日本人より理解している」と言えるかどうか?

ごく限られた場面を除いて、「より理解している」と思った事は殆どありません。海外在住の日本人が書いた生活文化に関するエッセーを読んだり、海外在住の日本人配偶者の特集番組を見たり、国際政治のしっかりした専門家の分析を見たりしても、「ああ、一般日本人より、キリスト教の中で生活した自分は、欧米文化を分っている、欧米政治を分っている、欧米人のキャラクターを理解している」と思う事は一切ありません。

たまにネットで、海外の政治経済文化等について穴がある記事や評論に対してツッコミを入れますが、それは「キリスト教」という要素抜きの突込みが8割以上を占めます。残り2割も、「教会組織」を話題にしている場面が殆どであって、それは「キリスト教の知識」と言うよりも「教会組織についての知識」と言った方が良いものです。礼拝の分類での誤報に突込みを入れた事はありましたが(動画)、これは「キリスト教理解による一般文化の理解が必要」な場面ではなく「正教会自体についての前提知識が、正教会自身の事物の理解に必要」な場面であって、「一般の政治経済文化」への拡張、ではありません。

「キリスト教の知識があるから、文化・政治一般の理解が深まっている」と思える事は、まず無いというのが現実です。祭壇奉仕、13歳の時には西方教会で礼拝の司式までやっていた私が、20歳で正教信者になるまで、「自分は欧米の文化を周りの日本人より分かっている」と思った事は殆どありませんでした。

「キリスト教を理解しなければ欧米文化は理解出来ない」と仰る御説自体に、私は小さく無い違和感を感じます。

今の私が、正教が優勢な国々の文化や地理について一般日本人より若干知っているように見えるのも、「祈って居るから」「聖書を勉強したから」「神学を勉強したから」ではなく、単に当地について書かれたエッセー(シメオン川又一英兄によるような作品)や記事、評論を幾つか読むようになったからであって、間接的影響以上のものはなく、本物の専門家にかなう知識はありません。

試みに、日本人信者(正教、カトリック、プロテスタント問わず、特に「親が信者なので自分も信者です」という人達…何らかの外国文化を入り口として信仰に入る率がほぼ皆無な層)にアンケートをとってみれば良いのです。「貴方は今まで、『自分はキリスト教の信者だから、欧米文化が分る』と思った事が頻繁に、もしくは日常的にありましたか」と。

多分「殆ど無い」が大勢を占める筈です。

あるいは、私のような育ちの者も知らないレベルまで「キリスト教を理解」する必要があるのだ、という御説もあるかもしれません。しかし(出鱈目本を避けつつ、読む本を厳選しつつ)それほどのレベルに達する時間的余裕のある一般の方がどれ程いらっしゃるのでしょうか。また、研究者であっても、そのような水準が要求される研究分野が、それほど多いものなのでしょうか。

● 大前提:キリスト教は「欧米の宗教」ではありません。

前提として、「キリスト教は欧米の宗教」ではありません(「欧米で多数派なのはキリスト教」とは言えますが…「逆も真」ではありません)。

◇ 発祥は中東(西アジア)
◇ 7世紀までの神学の中心地も中東(西アジア):アンティオキア(今のトルコとシリアの国境の辺り)とアレクサンドリア(エジプト)。
◇ 今に至るまで西アジアにも多くの教会が存続し、無視できない割合で存在している(シリア、エジプトでそれぞれ1割 ※1)
◇ レバノンでは約半数弱がキリスト教徒。
◇ 東欧では正教会が圧倒的優勢。
◇ そもそも西欧米でもキリスト教は退潮傾向にあり、「深い理解」を持って居る信者の数は減るばかりになっている(「無意識の領域でキリスト教の影響がある」と言われる事があるのですが、無意識について簡単過ぎる考察はふつう避けた方が無難でしょう)

「欧米を理解するにはキリスト教が必須」と言われるのがちょっとよく分りません。「キリスト教を理解したらレバノンの政治経済文化がより理解出来る」と言われる事は無いのですが、それはなぜでしょうか。

また、「近代民主主義の基盤にはキリスト教がある」といったお話も、以上の前提を考えますと眉唾です。近代民主主義が根付いていないか歴史が浅いと一般に捉えられる、東欧・中東における古い系譜をもつキリスト教は、「偽物のキリスト教」なのでしょうか?(実際そう仰る方も居ますが、それは典型的な西欧中心的な発想であり、もはや時代遅れなのは言うまでもありません)

● 西欧・米国における、キリスト教を題材にしている映画、小説のネタを知る程度であれば、(質にもよりますし偏向が書き手によってある事を差し引いても)「聖書漫画」で十分です

「キリスト教を題材にしている映画・小説」については、「キリスト教についてある程度理解」していないと楽しむのは難しいと思われるでしょう。

そこで、「欧米文化を知るためには、しっかりした本、せめて新書一冊(※2)はしっかり読んで、しっかり把握しなければ」と、思われる方が多いようですが…。

異論もあるかと思いますが、研究者ならともかく、一般の方であれば、少なくとも西欧・米国による、小説、映画などの理解に限っては(質にもよりますし偏向が書き手によってある事を差し引いても)「聖書漫画」を読む事で、取り敢えずは十分だと私は思います。

私は何も、「精確な知識を沢山本を読んで身に着けるべきです」という趣旨で「ふしぎなキリスト教」を批判したのではありません。むしろ逆で、「文化理解、程度の目的であれば、むしろ素直に聖書のストーリーを頭にダイジェストとしてイメージする位で、当面、不足ない」と思って居ます。

誤った知識・分析(とすら言えないような出鱈目)を苦労して頭に入れるよりも、「聖書のストーリー」が(漫画ででも)頭に入っていた方が、絵画や小説の内容を理解するには遥かに費用対効果に優れて居ます

なお、「西欧・米国の文化に限っては」と申しましたが、正教圏については残念ながら少々事情が異なります。聖書の情景や解釈について、西方との距離が小さくありません。また、正教会が出して居る「聖書漫画」はありません(※3)。

ドストエフスキー等を読む際には、「ちょっと違う聖書の理解をしているけれど、これはドストエフスキー独自の解釈、ではなく、正教の解釈なのかもしれない」とお読み頂ければと思います。

● ここまでの箇条書きまとめ

○ 信者は「欧米理解のために信じている」訳ではありませんし、実際欧米のことなど大多数はよく分りません。
○ 「キリスト教を理解」しても「欧米が理解出来る」ことはありません(※4)。
「教会の違いによって、異なる描写・解釈が有る」(※5)という留保が必要ですが、聖書漫画を読むのが、「キリスト教を題材とする映画、小説の理解」には近道です(「異端」発行の聖書漫画には注意しなければなりませんが ※6 ※7)。

● 何かを「理解」するための教会ではありません

最後に付け加えます。

「欧米を理解するため」「ギリシャを理解するため」「ロシアを理解するため」に正教会があるのではありません。さらに言えば「正教会を理解するため」ですら無いのです。聖職者として私が「理解を深めるため」の手段をお教えする事はありません。

勿論それらをきっかけとして門を叩いて来られた方は大歓迎しますが、あくまでそれは「きっかけに成り得るもの」以上のものではない事を知って頂きたく思います。

正教会では、神は全ての人々を救うことを願われて、教会に人を招いておいでです(※8)。

信者は自らの「海外理解を深める」「神学理解を深める」ためではなく、「救いに与る」ために教会に集います。

「救い」とは何かという説明が必要かもしれませんが…これについては、実際に教会においでになって、聖体礼儀に参祷頂き、体験を分かち合って頂くほかありません。

「泳ぐ」とは何か、という説明を百回聞くよりも、百回プールで泳ぐ練習をする方が「泳ぐ」ことが「分かる」には近道でしょう。

教会は評論家の集いではなく、神と人とが共に働く「プレーヤー」(player:行動する人、prayer:祈る人)の集いです。

正教会での「生涯プレーヤー」が増える事が私たちの願いです。


※1…少ないように見えますが、日本で「1割」と言ったらどれほどの影響力を持つかを想像して頂ければ、「1割」は「少数派」とは言えません。ちなみに今の日本では、キリスト教徒の割合は1%を超えないとされています。

※2…しかし本当に「しっかり把握する」ならば、新書一冊で済むはずがないのですが…。

※3…これは「出すべき」「出しても良い」「出すべきでない」と色々な見解があると思います。可否・適否については、ここでは敢えて私の結論も申しません。

※4…欧米における思想史・教会史を理解しようとしたら外せませんが、「映画、小説、料理、芸能」を楽しむレベルにおいては、「キリスト教を理解しなければ」と意気込む必要もメリットもありません。

※5…たとえばユダ(イウダ)が機密の晩餐(最後の晩餐)で、領聖(りょうせい…キリストの尊体尊血となったパンと葡萄酒を食べ飲む事)していたかどうかは、ある聖書漫画では領聖する前に晩餐の席を立って出て行ってしまっていますが(つまり領聖していない)、正教会では領聖していたと伝えています。これは聖体礼儀において重要な解釈の違いの一つです。

※6…その際、一般に「異端」と認識されている教派のものを選ばないように注意が必要です。いずれ本ブログでも「これはある程度役に立つ漫画」を紹介するかもしれません。

※7…さらに、漫画には「権威」がありません。大概は何割かは差し引いて読む筈です。出鱈目な内容の新書等を「学者の書いたものだから9割9分正しいだろう」と信じ込むような弊害が小さいというのもメリットです。

※8…「正教会だけが」こういう理解をしている、という意味ではありません事をお断りします。正教会以外にも同様の理解をしている教会はありますが、そうではない教会もあるので、敢えてここでは「正教会では」としています。

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