「ふしぎなキリスト教」は要旨・大枠からして滅茶苦茶です…
以下、ふしぎなキリスト教の要旨です。
- 神はキレまくるエイリアン
- Godを信じるのは、安全保障のため
- 安全保障が成り立って居ないのに信仰が衰えないのは、いじめられっ子の心理
- キレまくるエイリアンですが神はナンパする、これも愛
- 復活は枝葉末節
- 聖霊は連絡手段
- 皇帝教皇主義で一致している正教会は分裂
- よく解らないたとえ話を解説しますが、やっぱりよく解りません
- 可愛いコを贔屓するイエス
- キリスト教が成立したのはパウロ書簡によってです。パウロ書簡を引用しませんが。
- いやキリスト教ってふしぎですねえ
- プロテスタントには、無数の教会があります。プロテスタントでは、教会は重要では無いのです。
- 仏教は唯物論です
- 日本の神様は大体みんな友達か親戚みたいなもの
- よく分らないんですが社会に大きな影響を与えて居るのは間違いありません(教えはよく分らないんですが、数が三つあれば全部三位一体の影響と根拠無く思い込んで間違いないです、聖霊は連絡手段ですが)
…えーっと、これで「キリスト教が分った」と仰っている方は、本気でそうお思いなんでしょうか?
(以下、斜体字は要旨要約であって引用文ではありません。各種引用はこちらを参照)
「復活は枝葉末節」なら、その復活が示された日だということで日曜日が休日になっていて皆が教会に行っているのは、どう説明出来ますか。「枝葉末節」のために休日になっていて教会に行くんですか?
「キレまくるエイリアンがナンパする、これも愛」が、西欧米における「神の愛」をテーマにする諸芸術作品・傑作の背後にあるモチーフなんですか。
「正教会は政治的リーダーと教会のトップが一致する体制です、で、教会が次々に分裂」って、257頁冒頭の僅か3行。「一致」しているのか「分裂」しているのかどっちなんですか。これが正教会について言及している内容の全てを要約したものです。大したものです。3~4行で矛盾ってそう簡単に出来る芸当ではありません。
「プロテスタントには、無数の教会があります。プロテスタントでは、教会は重要では無いのです。」(p292, p294参照)「重要では無い」のになぜ「無数の教会がある」のか?
仏教は唯物論って、良いんですかね、こんな事書いて。
日本の神様は皆友達か親戚?祟り神はどこへ?
「分らないですね。ふしぎですね。ふしぎでよく分らないんですが、何でもかんでもキリスト教の影響なのは間違いないんですね。」って、先行研究も伝統的見解も一切無視して無根拠に思い込みを連発している本、支離滅裂な要旨(というか箇所によっては要旨すら無い)の本。
著者も、「分った」と感想を述べる人も、それこそ私は不思議です。
「解り易い」と仰る皆様にぜひ伺いたい、この本を読んで「具体的に何を」「どのように」「分った」と仰るのですか。(これまでほぼ例外なく「何がどのように分ったのかを言わずに賞賛するか、言っていたとしてもその根拠は既に挙げた誤りに置かれて居る」のです)
この「ふしぎなキリスト教禍」、まだまだ終わる気配がありません。これをもてはやすクリスチャンや学者がまだまだ居るのです(さすがに学者からは賞賛の件数は減ったようですが)。私ももういい加減止めにしたいのです。「ふしぎなキリスト教」に対して、批判が主流となったら即、私は手を引きます。